精選版 日本国語大辞典 「赤穂」の意味・読み・例文・類語
あこう あかほ【赤穂】
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兵庫県の南西端,播磨灘に面する市。1951年赤穂町と坂越町,高雄村が合体,市制。人口5万0523(2010)。市街地は千種(ちくさ)川の三角州上に発達し,赤穂浪士と製塩で知られる。江戸初期に浅野氏が建設した城下町で,製塩も赤穂藩の殖産興業政策の成果である。明治時代に塩は専売制になり,塩田は最盛期に400haをこえたが,1950年代に流下式製塩に代わって面積は激減し,さらに72年にイオン交換樹脂膜法による化学製塩に切り替えられて赤穂塩田の歴史を閉じた。しかし,塩を原料とする製薬工業が大正時代に進出し,千種川の清流と播磨地方の伝統産業綿織物にひかれて繊維工業も発達した。また近年は塩田跡地にセメント,タイヤなどの近代工業も立地し,播磨臨海工業地域の一翼をになっている。JR赤穂線が通じ,山陽自動車道のインターチェンジがある。赤穂城跡はわずかに石垣,堀などが遺構を伝えるのみであるが,浅野氏の菩提寺の花岳寺や大石神社が観光の拠点で,12月14日の義士祭には討入り装束の行列が町を練り歩く。
執筆者:小森 星児
播磨国赤穂郡の城下町加里屋を指す。15世紀岡豊前守光広が千種川の当時の本流熊見川の河口港中村を掌握するため,その西方,川の対岸に初めてとりでを築いた。16世紀には三角州の発達に伴い南の砂州〈城ヶ洲〉に城地が移り,とりでのあった地は町家地域=加里屋に変わった。近世の赤穂もこの城地と町場を引き継いで発展し,浅野氏の時代に城地は拡大され,城の西,上仮屋に侍屋敷,城の北,加里屋に町場が整備され完成した。三角州に建設された事情から川の上流より取水する上水道の建設が早く1614年(慶長19)に始められ,各戸給水がなされた。町場は,城地に最も近い東西の筋を1丁目とし,北へ4丁目までの4筋がある。この4筋を中央で南北に貫いて大手門から北へ姫路街道に通じる道が通り町筋。この筋と,4丁目の北,花岳寺の門前を東西に走る備前街道筋が,広い目抜きの道路である。町方人口は1706年(宝永3)4744人,1829年(文政12)3195人であった。
執筆者:八木 哲浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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※「赤穂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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