本善寺(読み)ほんぜんじ

日本歴史地名大系 「本善寺」の解説

本善寺
ほんぜんじ

[現在地名]吉野町大字飯貝小字上中平

吉野川の南岸さくら橋の南にある。六雄山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来で、奈良春日社の仏師の作と伝える。飯貝いいがい御坊と通称される。

大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔開創・沿革〕

寺伝によると開創は本願寺八世蓮如で、文明八年(一四七六)とされる。また蓮如の一〇男実悟の記した「拾麈記」によると明応四年(一四九五)の秋とされるが、応仁二年(一四六八)一〇月、蓮如は近江国大津より紀州高野山・吉野十津川を経て当地飯貝に至っており、蓮如はいち早く飯貝に目を付けていたようである。さらに文明九年(一四七七)四月五日、蓮如は金泥十字名号(寺蔵)を修復し、その裏書に「大和国吉野郡勧請部飯貝」と書いている。この十字名号が同年の修復前より飯貝に安置されていたかどうかは不明であるが、修復以前より飯貝に安置されていたとすれば、早くから飯貝に真宗の道場が創建されていたことになる。

本善寺
ほんぜんじ

[現在地名]加賀市大聖寺鍛冶町

願成がんじよう寺の西隣にあり和田山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。もと江沼えぬま敷地しきじ村にあって勝鬘しようまん寺と称していた。敷地勝鬘寺は三河針崎はりさき勝鬘寺(現愛知県岡崎市)の六世宗授が文明七年(一四七五)建立石山合戦および関ヶ原の合戦の功により本善寺の寺号を与えられたという(天保由緒書)。寺蔵の顕如絵像は裏書によると慶長二年(一五九七)本願寺教如が「勝万寺門徒尾州海東郡富田庄」の順誓に下付したもので、順誓は針崎勝鬘寺了順の子で尾州清洲城下・遠州浜松城下に勝鬘寺を開いたといわれる(「針崎勝鬘寺系図」勝鬘寺文書)

本善寺
ほんぜんじ

[現在地名]小松町新屋敷 旧藩

小松陣屋跡の西に位置し、明勝みようしよう寺の東側にある。聞名山得生とくしよう院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。

寛永六年(一六二九)荒木村重の子角兵衛の創建、玄誉の開基で、小松藩寺であった。「小松邑誌」に「公儀御代々御台様御法号奉安置 御領主御先祖御代々様日牌過去帳上ニ御法号書御回向奉申」とある。また同誌に「延寿院殿御存命中踊躍ヲ好マセ給ヒ毎年七月拾 (七カ)日大木戸ニ於テ踊ラシメ玉フ(中略)踊致サセ候ヤウ仰残サセラレ今ニ至マテ毎年七月拾七日踊ヲ興行致候事」と盆踊奨励のことを記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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