日本歴史地名大系 「大聖寺町」の解説
大聖寺町
だいしようじまち
大聖寺川下流、
大聖寺の町の基礎ができるのは天正一一年(一五八三)丹羽長秀の与力として大聖寺に配された溝口秀勝の頃からと考えられるが、本格的な都市建設は大聖寺藩成立以後とみられる。寛永一六年(一六三九)加賀藩三代藩主前田利常は三男利治に七万石を分与、利治を藩主とする大聖寺藩が興された。利治は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大聖寺川下流、
大聖寺の町の基礎ができるのは天正一一年(一五八三)丹羽長秀の与力として大聖寺に配された溝口秀勝の頃からと考えられるが、本格的な都市建設は大聖寺藩成立以後とみられる。寛永一六年(一六三九)加賀藩三代藩主前田利常は三男利治に七万石を分与、利治を藩主とする大聖寺藩が興された。利治は
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