飯貝村(読み)いいがいむら

日本歴史地名大系 「飯貝村」の解説

飯貝村
いいがいむら

[現在地名]真岡市飯貝

五行ごぎよう川の右岸に中心があり、田島たじま村の北に位置する。古くは大内おおうち庄のうちで、五行川東の京泉きようせん村と一村をなし、猪飼いがい郷と称したという(「補陀洛山草創建立記」下野国誌)広域の村が分村したため、地籍は広く複雑に入組んでいる。正慶元年(一三三二)の親鸞聖人御弟子達之事(茨城県帰願寺文書)に「性証御房 下野戌飼高柳イホン不正」、また康永三年(一三四四)の親鸞聖人御弟子交名(同文書)に「性証御房 下野戌飼」とあり、戌飼は猪飼とされている。応永一一年(一四〇四)の年記をもつ大般若経奥書(熊野神社蔵)に「大内庄飯貝郷鎮守箕輪寺」とみえ、熊野神社別当寺の飯貝郷にある箕輪みのわ寺常住僧尊栄らによって大般若経書写が行われた。村内に鎮守の熊野神社および同社の別当寺である箕輪寺がある(前掲大般若経奥書)。箕輪寺ではその後も、文安三年(一四四六)・同五年から宝徳三年(一四五一)にかけて尊栄らによって書写が続けられ、天文五年(一五三六)には当寺別当大行房円光が、再興本願主として再び書写が行われている。同一四年五月一六日、大行房良算の箕輪寺住持職当知行が京都聖護しようご院門跡より安堵されている(聖護院門跡御教書「熊野神社誌」所収箕輪寺文書)

飯貝村
いいがいむら

[現在地名]吉野町大字飯貝

吉野川南岸、丹治たんじ村の東にある。対岸上市かみいち村。吉野地方における真宗教団の本拠地本善ほんぜん寺の門前集落として発達した。

「大和志料」には「猪養は猪を飼育するものの氏なれば、古、其の部属ここに住せしより地名となれるを後世訛して飯貝となれるならん、故に山名には猪養の字を用ふ」と記す。「和州旧跡幽考」には「猪養山、飯貝ともいふにや、上市村の川むかひにあり、ふなはり山は本善寺の近き所にあり」とある。「万葉集」に詠まれた「吉隠の猪養の岡」(巻二)、「古名張の猪飼の山」(巻八)を飯貝の地に求めているが、古名張は吉名張の誤りで、現桜井市大字吉隠よなばりであるともいう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android