曾井村(読み)そいむら

日本歴史地名大系 「曾井村」の解説

曾井村
そいむら

[現在地名]本巣町曾井中島そいなかじま

文殊もんじゆ村の西に位置し、糸貫いとぬき上流の緩傾扇状地平野の扇頂部に立地。枝郷に中島村があり、曾井中島村とも称した。長享三年(一四八九)二月五日の某注進状案(宝鏡寺文書)に京都宝鏡ほうきよう大慈だいじ院領美濃国衙領本巣もとす九郷のうちに「そい」とみえる。永禄元年(一五五八)六月一〇日の斎藤氏六人衆連署状(安藤鉦司氏所蔵文書)によれば、当村は従前より真桑まくわ七ヵ井から取水していたと主張したが、根拠がないと裁許されている。関ヶ原の合戦後は石河光忠(石河氏はのち尾張藩家老)領一万石のうちに含まれた。

曾井村
そいむら

[現在地名]四日市市曾井町・三重みえ

高角たかつの村の東にあり、村の南側を三滝みたき川が東流し、北は低い丘陵によって限られる。「神鳳鈔」に「二宮曾井御厨上六丁四反十丁、各三石、六九十二月」とでる。また天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写にも「四斗孫三郎 そい」とあり、中世末まで神宮に上分を納めていたことが知られる。同一二年頃の織田信雄分限帳(内閣文庫蔵)では、纐纈源十郎なる者が、当郷で二九〇貫文を知行している。

曾井村
そいむら

[現在地名]勝央町曾井

美野みの村の南東に位置し、東は上香山かみかやま村。「東作誌」によると矢田やた(現勝田町)からの分村という。同じく矢田村分村とある上香山村は津山藩森氏時代の史料にみえるが、当村名はみえない。「武家聞伝記」に載せる延宝(一六七三―八一)頃の美作国郡村高并戸数里程事には、のちの「東作誌」に記す地字大岩おおいわ(戸数一一)が上香山村にみえることから、当村は矢田村から分村した上香山村からさらに分村したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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