勝央町(読み)しようおうちよう

日本歴史地名大系 「勝央町」の解説

勝央町
しようおうちよう

面積:五三・五四平方キロ

東部を勝田町、南東部を英田あいだ郡美作町、南・西部を久米くめ柵原やなはら町・津山市、北西部を勝北しようぼく町、北部を奈義なぎ町に接する。南北約一二キロ・東西約八キロ。中央部がへこんだヒョウタン形を呈する。全体になだらかな舌状丘陵に立地するが、溜池が多い。奈義町からたき川が南西流し、北部と南部にそれぞれ比較的大きな盆地が広がるほか各地に小盆地があり、集落が形成される。滝川は町域南部の勝間田かつまだから南東流し美作町に至る。南部は東西の交通が古代から発達し、近世出雲往来が通じていた。現在JR姫新線(当町に勝間田駅・西勝間田駅がある)国道一七九号・中国自動車道が通じる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勝央町」の意味・わかりやすい解説

勝央〔町〕
しょうおう

岡山県北東部,津山盆地の東部にある町。 1954年勝間田 (かつまだ) 町と植月 (うえつき) ,古吉野 (こよしの) ,高取の3村と古野村の一部が合体して発足。中心地区の勝間田は,出雲街道の重要な宿場町として繁栄。絨毯工場があるほか丘陵地に勝央中核工業団地ができ,化学,金属などの工場がある。イネ,ムギ,抑制野菜を栽培。和牛の肥育も行われる。 JR姫新線,国道 179号線,429号線,中国縦貫自動車道が通じる。面積 54.05km2。人口 1万888(2020)。

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