新屋郷(読み)にいのやごう

日本歴史地名大系 「新屋郷」の解説

新屋郷
にいのやごう

和名抄」高山寺本には郷名の記載がなく、同書伊勢本・東急本・名博本には郷名の記載はあるが読みは記載されていない。一九九〇年代になって、平城宮跡から「阿波国板野郡新屋郷 少豆五斗」という木簡が出土し、八世紀の時点で新屋郷が存在していたことが明確になった。当郷について「阿府志」は「此地未詳」、「阿波志」は「並廃」となっており、いずれも比定がなされていない。大正一五年(一九二六)刊の「板野郡誌」は「阿波(郡脱か)風土記には西条宮川内高尾原田七条五条辺なりと記せり」としており、明治初年近藤忠直・浦上利延編集の「阿波郡風土記」(所在不明)で現土成どなり宮川内みやがわうち高尾たかお吉田よしだ、現吉野町西条さいじよう五条ごじようという板野郡西端の地をこの郷に比定していたらしく、それを受継いでいる。

新屋郷
にいやごう

「和名抄」高山寺本・東急本・元和古活字本のいずれも訓を欠く。しかし、伊予国越智郡および喜多郡の新屋郷には「爾比也」(元和古活字本)、「尓比也」(伊勢本)の訓があり、当郷も「にいや」と称していたものと考えられる。「大日本地名辞書」は現海部郡甚目寺じもくじ新居屋にいやをその郷名の遺称とする。「日本地理志料」は「江上荘、領新居屋、甚目寺、小路三邑、中荘、領古道、富塚、木折、金岩、花長、二ツ寺、溝口、花正、中橋諸邑、是其地也」として、現海部郡甚目寺町の西部から同郡美和みわ町の東部にかけての一帯をその郷域に比定している。尾張国神名帳にみえる「新屋天神」は、現甚目寺町新居屋の新屋天神社にあたるか。

新屋郷
にいやごう

「和名抄」高山寺本は「新居」と記載して「迩比也」と訓を付し、東急本は「新屋」を「尓比也」と訓を付す。平城宮出土木簡に、表に「上野国甘楽郡新屋郷」、裏に「上戸宋部猪万呂養銭」とある。「延喜式」左馬寮に記す上野国九牧の一つに新屋牧がみえる。「名跡考」は天引あまびき(現甘楽町)に新屋および黒駒くろこまの地があるので牧跡とする。「上野国神名帳」の一宮本・群書類従本には「従五位上新屋明神」がみえ、一宮本には「ニイヤ」と振仮名をしている。しかし新屋明神を比定する神社が見当らない。総社本には「従五位新屋明神」とあり、「アラヤマ」と振仮名をしている。

新屋郷
にいやごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「新屋」と記し、流布本は「爾比也」、伊勢本は「尓比也」と訓じ、高山寺本は訓を欠く。今治いまばり平野南西部の町谷まちや松木まつぎ新谷にや五十嵐いかなし(現今治市)辺りに比定される。

新屋郷
にいやごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「新屋」と記し、流布本は「爾比也」、伊勢本は「尓比也」と訓ずる。久米郷の東、旧喜多郡新谷にいや村・たいら村・喜多山きたやま村・三善みよし(現大洲市)辺りを含む地域に比定される。

新屋郷
にいやごう

「和名抄」所載の郷で、同書名博本には記載がない。同書高山寺本など諸本とも訓を欠く。新居にいい郷と埴屋はにや郷からの誤記であるとして当郷の存在を比定する説(日本地理志料)、新泉郷の誤りとみて現成東なるとう新泉にいのみを遺称地とする説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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