甚目寺(読み)じもくじ

精選版 日本国語大辞典 「甚目寺」の意味・読み・例文・類語

じもく‐じ【甚目寺】

愛知県海部郡甚目寺町にある真言宗智山派の寺。山号鳳凰山。推古天皇五年(五九七漁夫の甚目(はだめ)龍麿が海中から得た黄金の観音像を安置したのに始まると伝えられる。建久七年(一一九六聖観中興南大門三重塔などは国重要文化財

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「甚目寺」の意味・読み・例文・類語

じもく‐じ【甚目寺】

愛知県あま市にある真言宗智山派の寺。山号は鳳凰山。推古天皇5年(597)伊勢海士あま甚目竜麻呂はだめたつまろが海中より観音像を得て創建したと伝える。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「甚目寺」の解説

甚目寺
じもくじ

[現在地名]甚目寺町甚目寺 東門

鳳凰山と号し、真言宗智山派。本尊は聖観世音菩薩。尾張四観音の一つ。縁起によれば、推古天皇五年まだ当地が海岸であった頃、甚目連竜麿という漁夫の網に拾い上げられた紫金の観音像を祀るため、草庵を建てたのが起源。観音像は百済伝来の三尊仏のうちの一体とも伝えられる。明治三五年(一九〇二)付近から奈良時代前期と思われる古瓦が出土され、大和の山田寺やまだでら式と同類の重弁単弁八弁蓮華文瓦、花弁中央に縦線を入れ左右二面に分けた蓮弁の単弁八弁蓮華文瓦などの軒丸瓦は白鳳時代建立を裏付ける。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「甚目寺」の意味・わかりやすい解説

甚目寺 (じもくじ)

愛知県あま市の旧甚目寺町にある真言宗の寺。山号は鳳凰山。甚目寺観音とも呼ばれる。当寺に伝わる1264年(文永1)の縁起によると,597年(推古5)に,甚目竜麿(はだめのたつまろ)が海中から網に引かれて出現した観音像を本尊として開創したといわれる。天智,天武両天皇の信仰を得,平安時代の後期には七堂伽藍を備えた大寺として栄えたと伝える。江戸時代には,塔頭(たつちゆう)寺院10ヵ寺を有し,笠覆(りゆうふく)寺,竜泉寺観音寺の諸寺(ともに名古屋市)とともに,尾張四観音の一つとして信仰を集めた。《尾張志》によると,甚目竜麿の子孫という円成,秀円,長海の3家が,妻帯寺として代々甚目寺を相承し,〈網の衆〉と称していた。本堂は1873年に焼失したが,貴重な文化財を数多く伝えている。源頼朝の命によって梶原景時が再建した南大門をはじめとし,室町期の東門,寛永年間(1624-44)の三重塔,成就院にある観音立像は,いずれも重要文化財に指定されている。
執筆者:

甚目寺(旧町) (じもくじ)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「甚目寺」の意味・わかりやすい解説

甚目寺
じもくじ

愛知県西部,あま市北東部の旧町域。名古屋市の北西に位置する。1932年町制。2010年七宝町,美和町の 2町と合体してあま市となった。名古屋市の近郊農村として江戸時代から米作のほか名古屋に供給する野菜生産が盛んで,特に徳川家に献じた方領大根(ほうりょうだいこん)は有名であった。1910年代に始まった特産のはけ・ブラシ生産は,最盛期には全国生産の 70%にも達した。しかし 1970年代から中国製品が大量に輸入されて,生産量は大きく減少。近年は住宅地化が進む。6世紀末に建立されたといわれる甚目寺は尾張四観音の一つで,南大門,三重塔,東門が国の重要文化財に指定されている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「甚目寺」の解説

甚目(じもく)寺

愛知県あま市にある寺院。真言宗智山派。山号は鳳凰山。597年、漁師の網にかかった聖観音像を祀ったのが起源と伝わる。南大門、三重塔、東門は国の重要文化財に指定。「甚目寺観音」とも呼ばれる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android