新保山城跡(読み)しんぼやまじようあと

日本歴史地名大系 「新保山城跡」の解説

新保山城跡
しんぼやまじようあと

[現在地名]小浜市新保・大谷

霞美かすみヶ城ともいう。新保集落の北側裏山、標高二九三メートルを頂点とする稜線上に蛇行して、全長二五〇メートル、最大幅一七メートルの城郭がある。さらに西側尾根筋を大谷おおたにに向かって延びる枝峰の中段にも城台があり、東西二一〇メートル、最大幅五〇メートルを測る。城はこの新保側の上城と大谷側の下城から成り、最上段と最下段の比高は七〇メートル。

上城は山頂稜線を削平しているため、長大な割に幅は狭く、階段状に一八郭が連なる連郭式である。五ブロックに分れ、郭の間には空堀を設けて防備とし、二八七メートルラインの郭と最高所郭を結ぶ三郭が主郭と考えられる。これらの郭の後方前方・側面は土塁で囲み、一部に盛土した櫓台と推定されるところもある。宮川みやがわ谷一円はもとより、松永まつなが平野ひらの方面まで望見でき、しかも両側面は急傾斜面で、天然の要害である。

城主は「若狭郡県志」に「伝言、昔上杉金吾拠之、後年粟屋右京亮元隆居焉、元隆武田元光麾下之士也、其後武田中務守之、中務始名八郎、其子五郎亦棲焉、而領宮川保四箇村并松永東郷之内七箇村、又三方郡倉見庄有采食之地」とあって、上杉・粟屋・武田の三氏が拠ったとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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