新上五島(読み)しんかみごとう

改訂新版 世界大百科事典 「新上五島」の意味・わかりやすい解説

新上五島[町] (しんかみごとう)

長崎県西部,南松浦郡の町。五島列島のほぼ中央を占める。2004年8月有川(ありかわ),上五島,新魚目(しんうおのめ),奈良尾(ならお),若松(わかまつ)の5町が合体して成立した。人口2万2074(2010)。

新上五島町東部の旧町。南松浦郡所属。五島列島中通(なかどおり)島の東部一帯と頭ヶ島(かしらがしま)その他の小島からなる。人口7564(2000)。有川湾にそそぐ大川,木場川の河口部に中心市街の有川郷があり,上五島地域の中心ともなっている。1981年開港した上五島空港は頭ヶ島東部の山頂部を削って造られ,長崎空港,福江空港と結ばれている(2007年現在,閉鎖中)。慶長年間(1596-1615)熊野漁民の移住により始められた沿岸捕鯨は明治中ごろまで続き,近年まで遠洋捕鯨に従事する者が多かった。有川湾および近海はブリ,アジ,イワシ,イカなどの好漁場で,揚繰網や定置網による漁業が盛ん。アマナツの特産がある。

新上五島町北西部の旧町。南松浦郡所属。1956年青方町と浜ノ浦村が合体,改称。人口7368(2000)。五島列島北部,中通島西端を占める。東シナ海に面し,山地丘陵が多く平たん地に乏しい。海岸線は複雑で景勝奇岩の北部や南西部の海岸線は西海国立公園の一部となっている。東シナ海漁業の基地で,西海岸交通の中心でもあり,遣唐使船の寄港地として知られる青方港は1981年重要港湾に指定され,湾入部には石油公団による世界初の洋上石油備蓄基地が完成し,88年10月より操業を開始した。底引網,定置網などを主とする漁業が盛んで,北部の奈摩漁港は底引網漁業の根拠地である。ハマチ,真珠,ワカメの養殖も行われる。

新上五島町北端の旧町。南松浦郡所属。人口4996(2000)。五島列島の中通島北部の魚目半島を占める。中央部は番嶽(369m)を主体とする山系が南北に走るため,山脈尾根を海に浮かべたような険しい海岸線が多く,集落は海岸部のわずかな平地や緩傾斜地に散在する。中心集落は東南部,有川湾に面する榎津(えのきづ)で,中央部の立串(たてくし)とともに定期船が佐世保港へ通じる。耕地が狭く水田はわずかで,急傾斜地を石積みした段々畑が多いが,近年は荒廃がめだっている。基幹産業は古くから盛んな漁業で,とくに定置網による漁獲は漁業生産高の大半を占めている。近年は養殖漁業にも力を入れており,小串(こぐし)には大規模な浅海漁場が造成された。西海岸には曾根火山の火口壁が海食により削り取られた赤嶽(あかだき)とよばれる赤色の断崖があり,番嶽からの景観や,町内9ヵ所の天主堂など見どころが多い。

新上五島町南東端の旧町。南松浦郡所属。五島列島中通島の南東部にある。人口3332(2000)。町の大部分を山地が占め,複雑な海岸線の湾奥や川沿いのわずかな平地に集落が散在する。中心の奈良尾郷は江戸初期に紀州の漁民がイワシ漁の基地としてから開けた地と伝える。就業人口の約30%(1990)が漁業に従事し,奈良尾港は東シナ海を主漁場とする西日本有数の遠洋巻網漁業基地となっている。奈良尾神社のアコウ(天)は樹齢600年といわれる巨樹で,地上7mで二大根幹に分かれ,その間を参道が通る。若松瀬戸や五島灘を見渡す米山展望台,大正初期に建てられた福見教会,遠見番岳北麓の芦山(ろざん)の滝がある。奈良尾港には長崎からフェリーが通じ,上五島への南の玄関口となっている。
執筆者:

新上五島町南西部の旧町。南松浦郡所属。人口4299(2000)。五島列島のほぼ中央に位置し,町域は五つの有人島(若松島,日島,有福島,漁生浦(りょうせうら)島,中通島南西部)と25に及ぶ無人島からなる。主島の若松島(面積38km2)は山地が沈水してできた島で,リアス式海岸が発達する。東岸に位置する若松が中心集落で,その港は沿岸・沖合漁業の基地となっている。海岸の景観は美しく,西海国立公園に含まれ,また海水の透明度がよいことから,1972年に若松島と中通島の間の若松瀬戸の3海域が海中公園に指定された。中通島の桐,古里や有福島はかつての隠れキリシタン集落で,現在もカトリックが多い。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報