斎藤利行(読み)さいとう・としゆき

朝日日本歴史人物事典 「斎藤利行」の解説

斎藤利行

没年:明治14.5.26(1881)
生年:文政5.1.11(1822.2.2)
幕末の土佐(高知)藩士,明治期の官僚高知城下の渡辺利成の子。初め渡辺弥久馬。少壮より文武に優れ,土佐藩主山内豊煕の御側物頭のときおこぜ組に属し藩内抗争で失脚。嘉永年中(1848~58),参政吉田東洋もとで復権し新おこぜ組の有力者として活躍。安政初年近習目付,安政3(1856)年土佐藩で最初の銃隊編成に際して軍備用兼任として銃隊の操練・教授を勤めた。慶応初年仕置役に昇任,この時期の複雑な藩務に尽力した。維新に際して名を斎藤利行と改め,土佐藩の代表格で維新政府の参与に挙げられ,明治3(1870)年,刑部大輔,同5月参議に昇任して4年6月まで在任。8年7月から没年まで元老院議官。明治前期の政府部内で薩長土勢力の均衡に果たした役割は大きい。

(福地惇)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤利行」の解説

斎藤利行 さいとう-としゆき

1822-1881 江戸後期-明治時代武士
文政5年1月11日生まれ。土佐高知藩士。馬淵嘉平,吉田東洋のもとで藩政改革をとなえる。慶応3年長崎でおきたイギリス水兵殺害事件では,後藤象二郎とともに談判委員として活躍。維新後は参議のち元老院議官。明治14年5月26日死去。60歳。初名は渡辺弥久馬。

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