恭仁京跡(読み)くにきようあと

日本歴史地名大系 「恭仁京跡」の解説

恭仁京跡
くにきようあと

瓶原みかのはらのほぼ中央、三上さんじよう山と木津きづ川に挟まれた伊賀街道北側付近の山城国分寺跡を、大内裏跡に比定するのが通説である。

平城京東北方にあたる岡田おかだの地には、木津川を挟んで賀茂かも久仁くにの二里(郷)があり(「続日本紀」和銅元年九月二二日条)、早くから開かれた地であった。岡田離宮(「続日本紀」同日条ほか)甕原みかのはら離宮(同書和銅六年六月二二日条ほか)があり、元明・聖武両天皇の行幸をみているが、藤原広嗣の乱を平定した聖武天皇は天平一二年(七四〇)一二月に、平城京からの遷都を図った。「続日本紀」一二月六日条に「是日、右大臣橘宿禰諸兄在前而発、経略山背国相楽郡恭仁郷、以遷都故也」とあり、続けて一五日条に「皇帝在前幸恭仁宮、始作京都矣、太上天皇皇后在後而至」と記される。橘諸兄に命じて経営させ、あわただしく遷都したわけであるが、天平一六年二月には再び難波宮(現大阪市)皇都とする旨が発せられているから、恭仁京は四年ほどの短命の都であった。

「続日本紀」によって恭仁京造営の様子をみると、天平一三年閏三月九日に平城宮の兵器甕原宮に移し、七月一〇日に新宮に太上天皇が移御。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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