御上神社(読み)ミカミジンジャ

デジタル大辞泉 「御上神社」の意味・読み・例文・類語

みかみ‐じんじゃ【御上神社】

滋賀県野洲やす市にある神社。旧官幣大社。もと三上山上にあったといわれ、祭神は天之御影命あめのみかげのみこと入母屋造いりもやづくの本殿は国宝。

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精選版 日本国語大辞典 「御上神社」の意味・読み・例文・類語

みかみ‐じんじゃ【御上神社】

滋賀県野洲市三上にある神社。旧官幣中社。祭神は天之御影命(あめのみかげのみこと)孝霊天皇六年の創祀と伝えられ、祭神は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を作ったという鍛冶の祖神。はじめ三上山にまつられていたが、養老年間(七一七‐七二四)西麓の現在地に遷座。入母屋(いりもや)造の本殿は国宝。三上社。三上大明神。

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日本歴史地名大系 「御上神社」の解説

御上神社
みかみじんじや

[現在地名]野洲町三上

三上みかみ山西麓にある。祭神は天之御影あまのみかげ(御上神)。旧官幣中社。古代・中世・近世の史料では三上社とみえる。社名は「みかむ」ともよんだと推定される。野洲やすの地は古くから安国造の本貫地とされ、三上山山麓をとりまいて古墳が群在している。安国造のもとで御上神を祭祀した御上祝については、「古事記」開化天皇の段に「近淡海の御上の祝がもちいつく、天之御影神の女、息長水依比売を娶して」とみえ、開化天皇の子日子坐王が天之御影神の女を妻としたとある。三上山は神体山で、現社地は古代の山麓の祭祀地(遥拝所)であったと考えられる。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔古代〕

「先代旧事本紀」によると、天之御影神は孝霊天皇六年三上山に降臨したという。以後御上祝により祀られ、養老年中(七一七―七二四)三上山に群生する榧を用いて社殿が造営されたと伝える(「三上神系図」御上神社文書、以下とくに断らない限りは同文書)。貞観元年(八五九)一月二七日三上神は従五位下から従五位上となり、同七年八月二七日には正四位下、同一七年三月二八日には従三位と次々と神階が昇っている(三代実録)。寛平九年(八九七)六月二三日、栗太くりた金勝こんしよう(現滋賀県栗東町)に年分度者二名の試度を許した太政官符(類聚三代格)によれば、年分度者二名のうち一名は六年間山から出ずに当社と兵主ひようず神社(現同県中主町)法華経・最勝王経を読誦して、国家安穏・村邑の護衛を祈願すべきことを命じている。「日本紀略」天延二年(九七四)五月七日条には、三月より兵主・三上両社で太鼓や鉦を打つ音が絶え間なく聞えるという近江国からの報告により、朝廷で御卜が行われたことが記される。「新抄格勅符抄」では三上神の封戸は近江国に二戸とある。「延喜式」神名帳は野洲郡九座のうちに名神大社として御上神社をあげ、月次・新嘗の官幣にあずかった由を記す。

「日本霊異記」下巻第二四(修行の人を妨ぐるに依りて、猴の身を得し縁)には「野洲郡の部内の御上の嶽」に神社があり、その名は「我の大神」というと記し、当社と犬上いぬかみ郡の多賀たが大社(現滋賀県多賀町)との混乱がみられる。宝亀年中(七七〇―七八一)近くの堂で修行をしていた奈良大安だいあん(現奈良市)の僧恵勝は、小さな白猿から法華経を読むよう頼まれた。この猿は前生東天竺国の大王であったが、農業奨励のため修行僧の従者数を制限したことにより、仏道修行を妨げたとして後生は猿に生れ、当社の神となったという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御上神社」の意味・わかりやすい解説

御上神社
みかみじんじゃ

滋賀県野洲(やす)市三上(みかみ)に鎮座。古くは三上大明神とも称した。近江(おうみ)における古来からの名社で、琵琶(びわ)湖東近江平野の随所から望み見ることができ、近江富士の名のある秀麗な山容の三上山の西麓(せいろく)に、野洲川に臨んで位置している。創祀(そうし)は孝霊(こうれい)天皇のときに三上山の頂に降臨した天之御影命(あめのみかげのみこと)を御上祝(はふり)の祖が祀(まつ)ったのに始まり、のちに現社地に遷座して、社殿を造営したと伝えている。『延喜式(えんぎしき)』内の名神(みょうじん)大社で、旧官幣大社。祭神は地方開拓の祖神として崇敬され、中世以降は武家の崇敬がことに厚かった。三上山は神体山として信仰され、10月14日の秋季古例祭は「そうもく」(相撲(すもう)神事)といい、頭人(とうにん)が社宝の角力(すもう)像を奉斎して奉仕し、また「随喜祭(ずいきまつり)」ともいい、芋(いも)の茎や花・果実でつくった神輿(みこし)6基を氏子(うじこ)が献じる。本殿は鎌倉時代の入母屋(いりもや)造神社建築の代表例で国宝。拝殿、楼門、摂社若宮神社、宝物の狛犬(こまいぬ)は国の重要文化財

[牟禮 仁]


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改訂新版 世界大百科事典 「御上神社」の意味・わかりやすい解説

御上神社 (みかみじんじゃ)

滋賀県野洲(やす)市三上に鎮座。旧官幣中社。天之御影命をまつる。地方開拓の祖神で鍛冶の業に功績のあった神をまつったのが始まりと伝える。《延喜式》神名帳で名神大社に列し,古代は御上祝(みかみのはふり)が勢力を占め,地方における朝廷崇敬の大社として,また天台宗の本山延暦寺の尊崇を受けた。中世以後,源頼朝,足利尊氏,豊臣秀吉らの武将が崇敬。六角泰綱や佐々木政頼が社頭の修理や社殿の造営をした。本殿は入母屋造の神社建築で鎌倉初期の作とされ,国宝,摂社若宮神社本殿は一間社流造で重要文化財,また木造狛犬1対も重要文化財に指定されている。
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百科事典マイペディア 「御上神社」の意味・わかりやすい解説

御上神社【みかみじんじゃ】

滋賀県野洲市の三上山麓に鎮座。三上神社とも。旧官幣中社。天之御影(あめのみかげ)命をまつる。孝霊天皇の時の創祀と伝える。延喜式内の名神大社とされる。例祭は5月14日。ほかに秋季古例祭(10月14日)がある。鍛冶の祖神として信仰される。国宝の本殿,重要文化財の若宮神社本殿などがある。
→関連項目三上山

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御上神社」の意味・わかりやすい解説

御上神社
みかみじんじゃ

滋賀県野洲市の三上山山麓に鎮座する元官幣中社 (→官幣社 ) 。祭神はアメノミカゲノミコト。鍛冶の祖神として知られる。仏教建築の影響がみられる本殿は国宝。例祭は5月 14日に行なわれる。

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デジタル大辞泉プラス 「御上神社」の解説

御上(みかみ)神社

滋賀県野洲市の三上山(近江富士ともいう)西麓にある神社。延喜式内社。祭神は天之御影命(あめのみかげのみこと)。本殿は国宝、拝殿は国の重要文化財に指定。

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事典・日本の観光資源 「御上神社」の解説

御上神社

(滋賀県野洲市)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の御上神社の言及

【三上山】より

…山頂は雄山と雌山に分かれ,古くから信仰の対象となった神体山で,巨大な磐座(いわくら)がある。山麓の御上(みかみ)神社は《延喜式》の式内社で,鍛冶・農業の祖神の天之御影命をまつっており,国宝の本殿をはじめ拝殿,楼門など鎌倉時代の建築が残っている。三上田上信楽(みかみたなかみしがらき)県立自然公園に属し,山頂からの湖南地方の眺望がすばらしい。…

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