廻国雑記(読み)カイコクザッキ

デジタル大辞泉 「廻国雑記」の意味・読み・例文・類語

かいこくざっき〔クワイコクザツキ〕【廻国雑記】

室町後期の紀行。聖護院門跡道興准后どうこうじゅごう著。文明18年(1486)6月京都を出発し、翌年3月にかけて北陸関東奥州を遊歴したときのもの。簡略な記事和歌俳諧漢詩などをまじえた紀行歌文集。

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精選版 日本国語大辞典 「廻国雑記」の意味・読み・例文・類語

かいこくざっき クヮイコク‥【廻国雑記】

紀行記。五巻。道興著。文明一九年(一四八七成立。文明一八年六月一四日に京都を出発してから、北陸、関東、東海、奥羽各地の名所古寺などを巡歴したことを俳諧、漢詩、連歌などをまじえてまとめたもの。道興(一四三〇‐一五〇一)は関白藤原房嗣の子で、大僧正、聖護院座主となり、准三后待遇を得た僧で、道興准后といわれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「廻国雑記」の意味・わかりやすい解説

廻国雑記 (かいこくざっき)

道興准后が著した紀行文。道興は,近衛房嗣の子で,聖護院門跡,新熊野検校などに任ぜられた。その後,職を辞して詩歌の道へ入り,足利義政・義尚に優遇された。本書は,1486年(文明18)の6月から,北陸道を経て越後に至り,関東から甲斐,さらに奥州の松島に至る10ヵ月の旅について記したものである。漢詩,和歌,俳諧,連歌を交えた紀行文は,その文学的価値もさることながら,当時の各地の修験者の動向を知る資料として貴重である。道興は,大峰抖擻(とそう),西国巡礼,那智滝籠などの苦行を経験した門跡であり,各地の霊山で禅定または参拝を果たしている。道興に代表される室町時代の聖護院門跡の廻国は,各地に散在する修験者を掌握する意図を持っていたと考えられ,修験教団としての本山派成立への礎を固めるものであった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「廻国雑記」の意味・わかりやすい解説

廻国雑記
かいこくざっき

室町時代後期の紀行。聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)の准三后(じゅさんごう)、道興(どうこう)大僧正の著で、1487年(長享1)に成立。5巻あり、『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』『甲斐叢書(かいそうしょ)』などに所収。その前年(文明18)夏、57歳の道興は京を出立し、若狭(わかさ)(福井県南西部)から北陸路を経て関東各地を遊歴し、さらに東北地方に赴いた。各地の武士や僧と雅交を結び、名所旧跡を訪ね、伝説を記録し、漢詩、和歌、発句(ほっく)を交えて奥州松島・名取川まで至っている。紀行文としても優れ、当時の東国の状況や各地の文化史、交通史の重要史料である。

[北原 進]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「廻国雑記」の意味・わかりやすい解説

廻国雑記
かいこくざっき

名所,古寺の巡歴記。5巻。聖護院門跡准后道興著。長享1 (1487) 年成立。著者が文明 18 (86) 年から翌年3月までに,北陸,関東,奥州諸国を遊歴した際の紀行文。当時の地方文化や交通路などを知る好史料。『群書類従』『有朋堂文庫』『甲斐志料集成』に収録。

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旺文社日本史事典 三訂版 「廻国雑記」の解説

廻国雑記
かいこくざっき

室町末期の紀行文
1巻。関白近衛房嗣の3男,園城寺大僧正道興の作。1486年から北陸・関東・奥羽諸国の旅に出て,その見聞を漢詩・和歌・俳諧を交えてしるしたもの。

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世界大百科事典(旧版)内の廻国雑記の言及

【安房国】より

…1614年(慶長19)義康の子忠義のとき伯耆国倉吉に移封され,22年(元和8)嗣子なく断絶した。道興准后の《廻国雑記》に,1486年(文明18)の鴨川,小湊,天津辺海岸の風物が描写されている。
【近世】
 里見氏左遷以後の当国は譜代小藩の分立状態になった。…

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