20世紀日本人名事典 「幸田 露伴」の解説
幸田 露伴
コウダ ロハン
- 生年
- 慶応3年7月23日(1867年)
- 没年
- 昭和22(1947)年7月30日
- 出生地
- 江戸・下谷三枚橋横町(現・東京都台東区)
- 本名
- 幸田 成行(コウダ シゲユキ)
- 別名
- 幼名=鉄四郎,別号=蝸牛庵,叫雲老人,脱天子
- 学歴〔年〕
- 逓信省電信修技学校〔明治17年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士(京都帝大)〔明治44年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 文化勲章(第1回)〔昭和12年〕
- 経歴
- 幸田家は代々、幕府表坊主の家柄。明治18年電信技手として北海道余市の電信局に赴任したが、20年辞任して帰京。22年「露団々」「風流仏」を発表し、天才露伴の名が定まる。同年12月読売新聞の客員となり、23年「対髑髏」「一口剣」を発表。同年11月国会新聞社に入社、6年間在籍して代表作の「いさなとり」(24年)「五重塔」(24〜25年)「風流微塵蔵」(26〜28年 未完)などを「国会」に発表、尾崎紅葉と並ぶ小説家として評判になった。30年代に入って文筆活動の重点を評論、随筆、校訂、編著に移しはじめ、評論に「一国の首都」(32年)、随筆集に「〓言」「長語」(34年)、校訂・編著に「狂言全集」(36年)などがある。36年長編「天うつ浪」(未完)などを書き、史伝でも「頼朝」「運命」「平将門」「蒲生氏郷」、戯曲「名和長年」の代表作を残した。大正9年から「芭蕉七部集」の評釈を手がける。昭和12年71歳で第1回文化勲章を受章。同年芸術院創設と同時に会員。その後13年に「幻談」、15年には「連環記」など重厚な作品を発表した。他に「露伴全集」(全41巻 岩波書店)がある。また明治20年頃から句作を始める。一時「新小説」の俳句選者になったこともあるが結社には属さず、折に触れての吟懐と、歴史的主題を句に詠むことが多かった。「蝸牛庵句集」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報