川原小路(読み)かわらこうじ

日本歴史地名大系 「川原小路」の解説

川原小路
かわらこうじ

[現在地名]盛岡市なか橋通はしどおり一丁目・肴町さかなちようしも橋町はしちよう

中の橋東詰より北東から南西へ延びる中津なかつ川東岸に沿って西面する片側町で、五町半ほどの侍町(「盛岡砂子」など)南東呉服ごふく町・鷹匠たかしよう小路(上鷹匠小路)、南西は下の橋詰を隔てて馬場ばば小路に接する。初め川原小路と称し、文化一〇年(一八一三)中橋なかのはし河岸と改称(御家被仰出)。「盛岡砂子」には「寛永図に川原丁と有」とみえるが、寛永城下図では「片原町」と記される。

川原小路
かわらこうじ

[現在地名]水沢市 川原小路

水沢城北の天然の堀ともいうべき乙女おとめ川の北岸にある城内小路。元禄一〇年(一六九七)の記録(菅原文書)に小路名がみえる。片側町でお城廻衆とよばれる家臣屋敷一六軒があった。縦二八間・横一〇間の屋敷が多い。町の長さ三町四八間・道幅は東二間五尺・中二間・西二間二尺(石原文書)。当町から隠し念仏大導師で処刑された山崎杢左衛門のほか山崎為徳・箕作省吾・花火師石原八右衛門・北海道開拓先駆者吉川鉄之助などが出ている。明治二一年(一八八八)山崎七蔵方に岩手大林区署水沢派出所が設置されたが、のち変遷があってしん小路に水沢営署と改め移転した。

川原小路
かわはらくうじ

[現在地名]佐賀市川原町かわはらまち

妙安寺小路みようあんじくうじの西に、平行南北に通じており、妙安寺小路よりさらに北へ延びている。川原小路には川原小路堀端(東西)・川原小路裏小路(南北)の脇小路もあり、妙安寺小路同様に比較的小身の武家屋敷が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android