岩下壮一(読み)イワシタソウイチ

デジタル大辞泉 「岩下壮一」の意味・読み・例文・類語

いわした‐そういち〔いはしたサウイチ〕【岩下壮一】

[1889~1940]神学者哲学者東京の生まれ。日本におけるカトリック神学研究先駆者静岡県神山復生病院長となり、ハンセン病患者の救済事業に尽力。著「信仰遺産」「中世哲学思想史研究」「カトリックの信仰」。

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精選版 日本国語大辞典 「岩下壮一」の意味・読み・例文・類語

いわした‐そういち【岩下壮一】

カトリックの神父静岡の神山復生病院長となり、救癩事業と文書伝道に専心。著「信仰の遺産」など。明治二二~昭和一五年(一八八九‐一九四〇

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改訂新版 世界大百科事典 「岩下壮一」の意味・わかりやすい解説

岩下壮一 (いわしたそういち)
生没年:1889-1940(明治22-昭和15)

カトリック司祭,宗教思想家。カトリック神学,教父およびスコラ学の解説,紹介につとめ〈カトリシズムが日本の思想界で市民権を得ること〉をその活発な著作活動の目標とした。暁星中学時代に受洗,東京帝大ではR.ケーベル哲学を学び,七高教授として欧州留学中(1919-25)に司祭となる。帰国後は東京でおもに学生,知識人にたいして宣教活動を行ったが,30年以降神山復生病院の院長として救ライ事業に献身した。思想家としての役割は啓蒙にとどまったが,豊かな学識,深い神秘感覚および聖なる生活によって大きな影響を与えた。《岩下壮一全集》9巻(別巻小林珍雄《岩下神父の生涯》)がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩下壮一」の意味・わかりやすい解説

岩下壮一
いわしたそういち
(1889―1940)

カトリック司祭。東京に生まれる。東京帝国大学でケーベル博士の下にギリシア哲学、中世哲学の研究を志し、ヨーロッパに留学するが、留学中、聖職につくことを決意、司祭として帰国する。執筆、学生指導などによる布教活動のほか、ハンセン病の神山復生病院で院長も務めた。カトリシズムにおいてキリスト教を見直す神学的宗教論文は『信仰の遺産』に、中世哲学思想において哲学的世界観の問題を見直す精神史的哲学論文は『中世哲学思想史研究』に収められている。

[大谷啓治 2018年3月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩下壮一」の意味・わかりやすい解説

岩下壮一
いわしたそういち

[生]1889.9.18. 東京
[没]1940.12.3. 静岡,神山
カトリック司祭。ケーベル門下の哲学者で,日本におけるトミズムの先駆者。東京大学哲学科卒業。 1925年司祭となる。静岡県の神山復生病院院長として救癩事業に献身するとともにカトリシズムの指導者として活躍。著書『信仰の遺産』 (1941) ,『中世哲学思想史研究』 (42) ,『カトリックの信仰』 (49) ,『岩下壮一全集』 (9巻,61~62) 。

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百科事典マイペディア 「岩下壮一」の意味・わかりやすい解説

岩下壮一【いわしたそういち】

カトリック司祭,ケーベル門下の哲学者。東大哲学科卒,1925年司祭叙階。日本におけるカトリシズムの啓蒙家で,救らい事業にも献身し,神山復生病院長を務めた。《岩下壮一全集》9巻がある。
→関連項目吉満義彦

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩下壮一」の解説

岩下壮一 いわした-そういち

1889-1940 大正-昭和時代前期の司祭。
明治22年9月18日生まれ。岩下清周(きよちか)の長男。明治34年受洗。七高教授をへて大正8年ヨーロッパに留学。14年司祭となり帰国し,神学の研究とともに布教活動に尽力。ハンセン病施設神山復生病院長もつとめた。昭和15年12月3日死去。52歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「カトリックの信仰」「中世哲学思想史研究」など。

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