小倉(福岡県)(読み)こくら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小倉(福岡県)」の意味・わかりやすい解説

小倉(福岡県)
こくら

福岡県北九州市の中央にある旧城下町で現在その中心地。1900年(明治33)市制施行。1963年(昭和38)門司(もじ)、小倉若松八幡(やはた)、戸畑(とばた)の各市の合併による北九州市の設置により区制を施行、同市小倉区となり、1974年小倉北と小倉南の2区に分区。江戸時代は小倉藩15万石の城下町として発達、1871年(明治4)廃藩置県により一時小倉県の県庁所在地となったが、西海道鎮台(さいかいどうちんだい)設置後、第一二師団設置(1898)によって軍事都市的性格を強める一方、工業化も進展、北九州の商業中心としても発展を始めた。その後一時停滞状態にあったが、1933年(昭和8)陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)が東京から移転してふたたび軍都として発達、第二次世界大戦後は北九州の中央にあるという位置的有利さによって北九州の商業、観光、文化の中心地として発展を続けている。とくに小倉北区は行政、商工業の中心地区として機能、商業は銀天街といわれるアーケード商店街のある魚町(うおまち)や京町を中心にデパートや専門店が集中、北九州市最大の商店街として発達する一方、卸売業も中枢管理機能の集中に伴って盛んであり、臨海部にはアジア太平洋インポートマート(AIM)など流通施設も多い。また、小倉城跡周辺には市役所、区役所、市民会館をはじめ地方裁判所、検察庁などの行政機関や、新聞社や放送局が入った「リバーウォーク北九州」などの文化施設も集積している。工業は鉄鋼、機械、金属をはじめ化学、窯業パルプなどの諸工業が展開、北九州市7区のなかでは工業各部門のつり合いがもっともとれ、主要工場は紫(むらさき)川沿岸と日明(ひあかり)から砂津(すなつ)にかけての響灘(ひびきなだ)沿岸の埋立地に立地している。一方、小倉南区は住宅地とその南に広がる平尾台(ひらおだい)や福智山(ふくちさん)などの山地からなるが、宅地化の進展が近年著しく、住宅団地や企業社宅が多い。カルスト地形で知られる平尾台や福智山は北九州国定公園に属し、市民のレクリエーション地帯として機能するほか、林業や畜産にも利用され、北九州市のなかでは農業や水産業も比較的行われている。九州の主要幹線である鹿児島本線と日豊本線(にっぽうほんせん)、国道3号、10号、199号、322号、九州自動車道小倉東インターチェンジと小倉南インターチェンジがあるほか、北九州都市高速道路、北九州高速鉄道(北九州モノレール)が通り、交通上の要衝としても重要である。なお、小倉南区の東部、周防灘(すおうなだ)に面して北九州空港(旧北九州空港)があったが、2006年(平成18)同区および隣接する京都(みやこ)郡苅田(かんだ)町の沖合いに新北九州空港(2008年に北九州空港と改称)が開港した(新空港開港に伴い旧北九州空港は閉港)。おもな観光地に到津(いとうづ)の森公園、小倉城跡、また国の重要無形民俗文化財に指定された「小倉祇園(ぎおん)祭の小倉祇園太鼓」で有名な八坂神社などがある。

[石黒正紀]

『『小倉――市政五十年小史』(1950・小倉市)』『『小倉市誌』(1955・小倉市)』


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