対馬国府跡(読み)つしまこくふあと

日本歴史地名大系 「対馬国府跡」の解説

対馬国府跡
つしまこくふあと

古代に置かれた対馬国府で、対馬島府ともいう。「和名抄」では国府は下県郡にあると記されている。対馬国府に関連する史料は少なく、現在までその遺構は確認されず、その確かな始期も所在地も未詳であるが、中世近世を通じて国府・国衙または府中ふちゆう府内ふないなどとして、施設または通称地名として史料にみることができる。「対州編年略」に天武天皇一二年(六八三)対馬国与良よらに国府を定め、桜川さくらがわの南に国庁を建てたとある。「津島紀略」でも与良は府の本号(旧号)とし、与良に国府が置かれ、具体的には国府平こうびらの下を流れる桜川、すなわち金石かねいし川の南岸に政庁があったとする。この流域は現在の国分こくぶにあたり、大町おおまちから奥里おくざとにかけての一帯が国庁域であったとみられる。その北側の清水しみず山麓島分とうぶん(国分寺)があった。「文徳実録」天安元年(八五七)六月二五日条によれば、対馬島上県郡擬主帳卜部川知麻呂や下県郡擬大領直浦主(氏成か)らが党類三〇〇人ほどを率いて、守正七位下の立野正岑の館を囲み、火を放ち、正岑と従者一〇人・防六人を射殺したと大宰府からの飛駅使が報じた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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