国衙(読み)こくが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国衙」の意味・わかりやすい解説

国衙
こくが

律令制下における諸国政庁。方8町の国府区画の中で中央北の方2町があてられた。この中に,税所 (さいしょ) ,調所 (ずしょ) ,政所,大帳所,朝集所,健児所田所公文所などの事務局があった。国衙は,平安時代中期から鎌倉時代にかけて,その国の政治,文化,軍事の中心となった。国司が常駐し,国内の統治と都との連絡にあたった。国衙にあって事務を行う官人を在庁官人といい,遙任国守が任国へ下向させた目代が,この在庁官人を率いて行政を行なった。この目代と在庁官人の構成する執務機関は留守所 (るすどころ) と呼ばれた。

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精選版 日本国語大辞典 「国衙」の意味・読み・例文・類語

こく‐が【国衙】

〘名〙
① 令制で、諸国に設置された政庁。国司が政務にあたった役所。国府。国庁。
※続日本紀‐宝亀一一年(780)七月戊子「長官以下急向国衙、応事集議」
国衙領のこと。国領公領
※吾妻鏡‐文治元年(1185)一一月一二日「毎国衙庄園。被守護地頭者」

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旺文社日本史事典 三訂版 「国衙」の解説

国衙
こくが

律令制において,国司が政務をとる官庁
国庁ともいう。その所在地が国府。大帳所・朝集所・政所 (まんどころ) ・税所 (さいしよ) ・調所 (ずしよ) などの事務所があった。鎌倉期中ごろまで活動したと考えられる。

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防府市歴史用語集 「国衙」の解説

国衙

 律令[りつりょう]時代に置かれた国の役所を言います。「国府[こくふ]」という言葉もありますが、「国府」はいろいろな施設を含めた広い範囲を指し、「国衙」は役所建物そのものを指します。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国衙」の意味・わかりやすい解説

国衙
こくが

本来は、国府(こくふ)の正庁を中心とした官衙群(建物)をさす。転じて、国司(こくし)・在庁官人(ざいちょうかんじん)らの勤務する機関を総称する。

[編集部]

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デジタル大辞泉 「国衙」の意味・読み・例文・類語

こく‐が【国×衙】

律令制で、国司が政務を執った役所。国府。
国衙領」の略。

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日本歴史地名大系 「国衙」の解説

国衙
こくが

[現在地名]防府市国衙一―五丁目付近

周防国府の政庁(国衙)のあった多々良たたら山南麓の地名であるが、国府の地は中世には土居八町どいはつちようとよばれて、近世末期まで公領としての性格を保った地である。

近世中期までは東佐波令ひがしさばりよう村とは別に国衙村とよぶ村があり、慶長五年(一六〇〇)検地帳に国衙村、同一五年の検地帳は国衙として佐波令に併せて記される。元禄一二年(一六九九)の郷帳以降は佐波令村に含まれるが、「地下上申」には佐波令のなかに国衙村を立て、「高千石程之在ニて御座候、先年ハ奈良之東大寺御支配ニて御座候由、其後いか様之儀ニてか御蔵入ニ相成、東大寺えハ御浮米被遣候由地下人申伝候」と記している。

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世界大百科事典内の国衙の言及

【国衙領】より

…中世において,荘園とならず諸国の国衙が支配した公領。国領とも称した。…

【国司】より

…中央から諸国に赴任し,在地勢力である管内諸郡の郡司を統率して一国の政治を行った。その政庁を国衙(こくが)あるいは国庁といい,政庁所在地を国府といった。
[成立]
 大和国家の地方組織は,在地勢力である国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)等の支配する国・県等から成り,中央の朝廷が必要に応じて臨時に役人を地方に派遣することがあって,それが国宰(くにのみこともち)などと呼ばれることはあっても,庶政全般をつかさどる常駐の地方官というものは存在しなかった。…

【国府】より

…律令制下における国の官衙(かんが)の所在地。史料的には〈国府〉〈国衙〉はいずれも国の官衙を指すが,現在では国衙は官衙を,国府は国衙の周囲に広がる計画的な都市を示す用語として使うことが多い。7世紀後半における国‐国司制の施行とともに諸国に設けられた。…

【守護領】より

…鎌倉時代のものとしては1235年(嘉禎1)に幕府が認めた安芸守護藤原親実の例が著名である。それは国府ならびに同近辺の郡地頭職,在庁兄部(このこうべ)職(国衙在庁官人の支配・指揮権をもつ),祇園神人兄部職(交通・商業活動を行う祇園社神人の支配権をもつ),国内に広く分布する久武名(有勢な国衙在庁の仮名)などから成っており,これらは前守護武田信光さらに宗孝親の体制を継承したものであった。守護宗孝親は在国司で在庁兄部を兼帯していたが,承久の乱の際朝廷方に属してそれらを没収された。…

【守護領国制】より

…室町幕府はいわばこのような権力である守護大名の連合政権であると理解する説である。室町幕府の地方行政官であった守護が付与された諸権限をてこにして任国を領国化していく事態は,具体的には国内の在地領主,荘園,国衙(領)の3者との関係において論じられた。まず領主層を服属させて直属家臣団を形成すること,次に中央所課段銭の徴収等を通して家臣を荘園に入部させ,荘園を守護請し,徐々に荘園領主権を後退させて自己の支配基盤に転化していくこと,また国衙在庁の被官化や国衙目代職の進退権を獲得して国衙機構を掌握するとともに国衙領を守護請すること,などである。…

【調所】より

…古代末~中世に国衙の軽物(けいもつ∥かるもの)(絹や布)徴収の業務を担った機関。調は〈みつぎもの〉の意。…

※「国衙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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