富本(読み)トミモト

デジタル大辞泉 「富本」の意味・読み・例文・類語

とみもと【富本】


姓氏の一。
富本節の家の名。
[補説]「富本」姓の人物
富本憲吉とみもとけんきち
富本豊前掾とみもとぶぜんのじょう
富本節」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「富本」の意味・読み・例文・類語

とみもと【富本】

〘名〙 「とみもとぶし(富本節)」の略。
黄表紙文武二道万石通(1788)下「あわ太夫をよびにやれ、諸事富本でなければきかれねへ」

とみもと【富本】

姓氏の一つ

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改訂新版 世界大百科事典 「富本」の意味・わかりやすい解説

富本 (とみもと)

浄瑠璃の一流派。富本節ともいう。豊後系浄瑠璃(豊後節)のうち,いわゆる豊後三流の一つ。1739年(元文4)宮古路豊後掾の豊後節が禁止された後,その門人の文字太夫が47年(延享4)に独立して常磐津節を創始したが,そのときワキを語っていた常磐津小文字太夫が,翌48年(寛延1)に富本豊志太夫富本豊前)と改名して創始した。富本独立に対して松江城主松平宗衍(むねのぶ)は《長生(ちようせい)》の歌詞を与えた。富本の全盛時代は次の2世豊前の時代で,彼はその顔だちから〈馬づら豊前〉といわれたが,天性美声と巧みな節回しで,常磐津をしのぐ人気を得た。当時の江戸城大奥の女中の採用資格に,富本の素養が問題になったというほどである。しかし彼の生存中に清元が分派独立。さらに彼の没後3年目の1825年(文政8)に,初世清元延寿太夫が暗殺される事件があり,真偽は別として富本方の者が犯人といわれたのは富本にとって痛手であった。その後に人がなく,わずかに4世豊前の時代に山田流箏曲との交流があったりしたが,衰退をとどめることはできなかった。

 富本の特色は,豊後節のうちの繊細な部分,ツヤのある部分を強調したものと思われる。拍子のはっきりした舞踊向きの部分は常磐津節が受け継ぎ,イキとかツヤは富本が拡大したものであろう。しかし,この面は2世豊前のような美声の持主にしてはじめて可能だったらしく,結局それはさらに拡大した清元節に取って代わられた。そして富本初期の名作のほとんどが清元節にとり込まれてしまった。

 三味線弾きは初世豊前時代の宮崎忠五郎,2世鳥羽屋里長(りちよう),7世にわたる名見崎徳治,三保崎兵助らで,そのうち7世名見崎徳治は1900年に新派を立てている。第2次大戦後は,古曲保存の〈富本七重会〉が組織されたり,平井澄子,石川潭月(たんげつ)らの〈富本研究会〉があったが,石川潭月は65年に〈富本芝屋会〉を興して家元芝屋統園を名のった。さらに80年に11世富本豊前を襲名したがまもなく没した。

 富本の現行曲はおよそ40曲,そのうち清元に移されたのが《長生》《老松(おいまつ)》《相撲》《鴛鴦おしどり)》《檜垣(ひがき)》《鞍馬獅子(くらまじし)》《浅間》(《其俤浅間嶽(そのおもかげあさまがだけ)》)《碁盤忠信(ごばんただのぶ)》《虫売》《高尾》《身替りお俊》《夕霧》などで約3分の1を占め,また山田流箏曲に移されたのが《六玉川(むたまがわ)》《桜七本(さくらななもと)》《村雨松風(むらさめまつかぜ)》など数曲。とくに山田流の浄瑠璃掛合物で,断りのない場合は必ず富本が用いられており,〈わがままに山田を荒す桜草〉(桜草は富本の紋)という川柳まで生まれた。富本の特色は山田流箏曲からうかがい知ることができるといわれている。
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