…当初,小津は《大根役者》の題名で北陸の雪の中で撮るイメージをもっていたが,雪不足のため舞台を夏の紀州に移し,光にあふれた強烈な色彩の効果(庭のハゲイトウの赤,画面を圧倒する蛇の目傘の赤,等々)を出すことに成功した。撮影は黒沢明監督《羅生門》(1950),溝口健二監督《雨月物語》(1953),《近松物語》(1954)の名カメラマン,宮川一夫。座長と愛人の女役者が,雨の降る通りをはさんで両側の軒下に立って口げんかをする場面は新旧両作品の白眉の一つとなっているが,前作では雨が屋根から軒先を伝ってこぼれ落ちる程度だったのに対して,再映画化作品では夕立の豪雨となり,中村鴈治郎と京マチ子の雨中のどなり合いを忘れがたいものにしている。…
…四畳半のあやしげな安待合の部屋や便所で匂ふ香水線香,若狭〉といっている(依田義賢あての書簡)。溝口はまた,この映画の真髄を〈芝居と詩〉ということばでいい表しており,一方では〈講談映画〉ではないリアルな戦乱の描写と生きた人間の出る〈真の時代劇〉を目ざすと同時に,深い霧につつまれた夜の琵琶湖に小舟を漕ぎ出す有名なシーンに見られるように,若き日に水墨画を修業した宮川一夫(1908‐ )のカメラを通してポエティックな〈幽玄美〉を生み出すことに成功している。【宇田川 幸洋】【山田 宏一】。…
…三船敏郎演ずる浪人がある小さな宿場へやってきて,なわばり争いをしている二つの暴力組織を手玉にとって闘わせ,結果的に両方を退治して飄然(ひようぜん)と去っていくという筋書のこの映画は,黒沢みずからが語るとおり,ドラマとして分析すれば穴だらけで,徹底的に映画的な楽しさだけを追求した,〈ある意味では喜劇〉であるといえる。そして,《羅生門》(1950)の撮影を担当した,宮川一夫(1908‐ )の黒沢のイメージを的確に映像化した望遠レンズの駆使などによる優れたカメラワークや,佐藤勝の斬新な音楽などによって,類型を脱した魅力ある時代劇映画となり,空前の大ヒットを記録した。 日本では黒沢の〈商業主義的娯楽映画〉という評価が一般的であったが,日本の時代劇映画がそのエキゾティシズムで〈人気〉を得ていたアメリカで公開されると,《タイム》誌は〈日本の黙示録〉という見出しをかかげて,黒沢が描いた19世紀日本の小さな宿場は現代文明を縮写した小宇宙であると論評し,また《ショー》誌は黒沢が初めてアメリカ全土の市場に売れる映画をつくったと評した。…
※「宮川一夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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