宝徳寺(読み)ほうとくじ

日本歴史地名大系 「宝徳寺」の解説

宝徳寺
ほうとくじ

[現在地名]玉山村渋民 渋民

渋民しぶたみの町の北東に位置し、万年山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。石川啄木ゆかりの寺として知られる。寺伝によれば万治元年(一六五八)の開創で、開基報恩ほうおん(現盛岡市)九世蘭翁嫩芝という。明治一〇年(一八七七)火災にあい、同二三年石川啄木の父一禎が住持の時代に再建した。安永九年(一七八〇)銘の六地蔵は桑畑宗右衛門・蘆名沢邑宗七・巻堀清右衛門・河口村庄九良の寄進による。

宝徳寺
ほうとくじ

[現在地名]寒河江市慈恩寺

慈恩じおん境内にあり、時用山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。近世には天童仏向ぶつこう寺末の時宗寺院で、慈恩寺最上さいじよう院の支配下にあった。永和三年(一三七七)の幹縁記録(宝徳寺文書)によると、同二年仏向寺八世得阿が慈恩寺境内に開山、皆阿悉道が嗣法したとある。天和二年(一六八二)の書付(最上院文書)に「宝徳寺ハ拙僧家来ノ者位牌所ニ立置申候」とあり、最上院配当高辻のうちから六石を与えられ、最上院支配屋敷地に所在、滅罪旦方四〇軒をもっていた(天保一四年「慈恩寺天台方本末分限帳」最上院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報