宝幢寺(読み)ほうどうじ

日本歴史地名大系 「宝幢寺」の解説

宝幢寺
ほうどうじ

[現在地名]金沢市幸町

愛宕山と号し、高野山真言宗。本尊十一面観音。もとは越前府中ふちゆう(現福井県武生市)にあったが、のち開山となる覚祝が前田利家の祈祷をしたことから前田家祈願所となった。前田利長が松任まつとう城へ入城した際同行。城の守護神として山城愛宕山より権現を勧請し社殿建立。その後、越中守山もりやま(現富山県高岡市)にて愛宕堂建立(貞享二年寺社由緒書上)。金沢に移転した時期は不明だが、元和元年(一六一五)五月家老奥村永福が藩主前田利常の戦勝祈願を行っているので(延宝年中社寺来歴)、この頃には建立されていたと考えられる。元禄九年(一六九六)奥村氏の邸地を石引いしびき町下屋敷地へ移転、当寺も上野うえの町の町端へ移転(金沢古蹟志)

宝幢寺
ほうどうじ

[現在地名]生駒市小平尾町

小平尾こびらお集落北西に位置。竜護山と号し、融通念仏宗。本尊は地蔵菩薩。寺伝に行基の開基と伝えるが不詳。本堂(国指定重要文化財)は、正面三間・側面五間、単層・入母屋造・本瓦葺。形式・手法からみて鎌倉時代末期頃の建築とみられる。内部は内外陣に分け、須弥壇にはみごとな格狭間をつける。本堂向拝の柱石には鎌倉時代様式の反花を刻む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宝幢寺の言及

【鹿王院】より

…正称は覚雄山大福田宝幢禅寺。1379年(天授5∥康暦1)足利義満が春屋妙葩(しゆんおくみようは)を開山に迎え,この地に宝幢(ほうどう)寺を開創し,さらに寺内に妙葩の塔所として開山堂を建立したところ野鹿が群れをなして現れたことから鹿王院と称したという。宝幢寺は京都十刹の第5位に列し,多くの荘園をもち,室町前期には寺勢も盛んだったが,応仁の乱で荒廃し,鹿王院だけが残った。…

※「宝幢寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」