愛宕社(読み)あたごしや

日本歴史地名大系 「愛宕社」の解説

愛宕社
あたごしや

[現在地名]犬山市犬山 愛宕

した城跡(市指定史跡)にある。「犬山里語記」によれば、鍛冶屋かじや町の住人銘鍛冶兼常という者が、京都の愛宕山長床ちようしよう坊に登り修験となって長泉坊と号し、慶長一〇年(一六〇五)愛宕社を居宅裏に勧請。同年末小笠原吉次から木ノ下城の旧地(愛宕屋敷と藪)寄進を受けて、愛宕山長泉ちようせん延命えんめい院を建立天台宗の愛宕山長床坊の末寺となった。「尾張名所図会」に「社寺は愛宕山延命院」とある。

愛宕社
あたごしや

[現在地名]総和町柳橋 北原

柳橋やぎはし集落北部に鎮座。一の鳥居・二の鳥居の奥に拝殿本殿神楽殿がある。祭神迦具突土命。旧村社。豊臣時代の創建と伝え、徳川秀忠より朱印地八石余を領したという。境内には宝暦一二年(一七六二)銘の手洗石があり、神灯に「奉納 御宝前 文化三丙寅 葛飾郡柳橋村」と刻む。境内社は香取神社・浅間せんげん神社・八坂やさか神社など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報