出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
大阪府中部,大阪市の北東に隣接する市。1946年市制。人口14万6697(2010)。淀川下流左岸に位置し,市域の大半は標高5m以下の低地であるが,自然堤防上には古くから集落が立地した。文禄年間(1592-96)に豊臣秀吉が淀川築堤工事(文禄堤)を行い,堤防上に京街道を通した。1616年(元和2)その宿駅となり,淀川舟運の河港としても栄えた。1910年に京阪電鉄が開通して工業化が始まり,メリヤスを中心とした繊維工業が発生した。大正末期に東洋紡績が進出したほか,昭和に入って松下電器,神戸電機,三洋電機などの諸工場が立地し,下請・関連工場も多数誕生したため,現在,隣接する門真(かどま)市とともに弱電機器工業の集積地となっている。住宅地化は工業化の後を追う形で進んだ。工業化に伴ってかつて盛んであった守口ダイコン,れんこんの生産はほとんど消滅してしまった。市域には真宗寺院が多いが,本願寺派の難宗(なんしゆう)寺(守口御堂)と大谷派の盛泉(じようせん)寺(守口御坊)はとくに有名である。
執筆者:秋山 道雄
京街道の宿場町。東海道57次目の宿場にあたる。豊臣秀吉が築いた文禄堤の南端に位置し,町並みの長さ711間,幅2間半という街道に沿った細長い町で,そのうち677間までが堤防上にある。平地との境目に本陣,問屋場があり中心部を構成している。1858年(安政5)の戸数212,人数854人。
執筆者:乾 宏巳
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