子ども服(読み)こどもふく

改訂新版 世界大百科事典 「子ども服」の意味・わかりやすい解説

子ども服 (こどもふく)

乳児から10代半ばくらいまでの年代の子どもが着る衣服。生後18ヵ月までのベビー服,6歳までの幼児服,それ以降の男児服,女児服などがある。木綿ウールなど耐久性,伸縮性,吸汗性のある布が使われ,身体が自由に動かせ,着脱の容易な形が選ばれる。子ども服が大人の衣服と区別されるようになったのは19世紀半ば以降で,ルソーの《エミール》を契機として,子どもの生活と人権が社会的に認識されてからである。ルソーは当時の乳児の包帯状のおくるみ(スワドリングswaddling)と,大人を模倣した服装は,発育期の子どもの精神と肉体の成長を妨げると指摘し,子ども独自の服装を提唱した。それまで子どもは,大人と同様の素材,形の衣服を着用しており,たとえば女児は身体をコルセットで締めつけ,重くふくらんだスカートをはいていた。イギリス産業革命期の労働者たちの子どもは,大人の古着をそのまま着て,袖をまくり上げて工場で働いていた。ルソーの提言以降の子ども服で特徴的なものはズボンパンタレッツ)で,5歳までの男女児は共にスカートをはき,〈下ばき〉として木綿,麻製のズボンを着けていた。5歳を過ぎると男児はズボン姿に変わり,女児はスカートを着用した。子ども服が確立してからは,オーバーオールズセーラー服,ジャケットとニッカーボッカーズ,ウエストを締めないワンピースなど多種多様の子ども服が作られ,子ども服専門のデザイナーやメーカーなどもあらわれた。日本では,明治の末ごろから百貨店で輸入物の子ども服や帽子が売られ始め,明治,大正,昭和にわたってセーラー服が男女児の間で流行した。通学服や運動服に洋服が取り入れられるようになったのは大正時代の末ころからである。
執筆者:

平安時代の貴族社会では,赤子に着せる綾などの衣服を襁褓(むつき)といい,祝いに贈る風習があった。これは今日の宮参り祝着に関係があると思われる。童装束(わらわしようぞく)といわれる童直衣(わらわのうし),童水干(わらわすいかん),半尻(はんじり)は男児,細長(ほそなが),汗衫(かざみ)は女児の服装であった。下級庶民の子どもは下に袴も腰衣もつけず,広袖の衣を着ていたようである。小袖の時代には,体温の発散や付紐を通すのに便利な八つ口をつけた脇明(わきあき)や,袖振のある振袖を幼若年の衣服とした。子どもの着物には成長にしたがって,一つ身裁ち(約3歳まで),三つ身裁ち(3~5歳くらい),四つ身裁ち(4,5歳から10歳くらいまで)がある。これらを小裁(こだち),中裁(ちゆうだち)ともいう(着物)。それ以上は大人と同じ本裁(ほんだち)にして縫い込む。付紐を結び,肩揚(かたあげ),腰揚(こしあげ)をするのも子ども物の特徴。子どもが着物を日常着としたのは大正時代の末ころまでで,現在は七五三の祝着やゆかたに残る程度である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報