姶良(市)(読み)あいら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「姶良(市)」の意味・わかりやすい解説

姶良(市)
あいら

鹿児島県中部にある市。2010年(平成22)姶良加治木(かじき)、姶良、蒲生(かもう)の3町が合併して市制を施行、姶良市となった。薩摩(さつま)半島と大隅(おおすみ)半島の結束部に位置し、鹿児島湾(錦江(きんこう)湾)に臨む。JR日豊(にっぽう)本線、国道10号が通じる。また九州自動車道が市域南部を横断し、加治木ジャンクションで隼人道路(東九州自動車道)を分岐する。鹿児島空港にも近い。北部は北薩火山群に属する丘陵地でシラス台地が広がり、南部は沖積平野が展開する。加治木町日木山(かじきちょうひきやま)の干迫遺跡(ほしざこいせき)(縄文時代)は、中・北九州方面との盛んな交流を示す遺物が出土して貴重。古代には大隈国桑原(くわはら)郡の南西部を占め、中世には蒲生院、帖佐(ちょうさ)郷、加治木郷などの院・郷が成立。近世には始羅(しら)郡(明治4年、姶良郡と改称)に属した。1896年(明治29)に、それまでの姶良、桑原、西囎於(にしそお)の3郡が合併して新たな姶良郡が成立した際、加治木町反土(かじきちょうたんど)に郡役所が置かれ、1912年には鹿児島県下で初めての町制を施行して加治木町が誕生している。この地方はかつて大良(おおら)、仁田尾(にたお)、上漆之(かみうるしの)、高嶺(たかみね)など多くの金山があり、昭和初期まで稼動していたが、閉山となった。現在は、鹿児島市の近郊都市としての性格が強く、兼業農家が多い。稲作、温州ミカン、タバコの栽培が行われ、養鶏も盛ん。漁業ではハマチやクルマエビの養殖が行われている。蒲生町地区特産の蒲生杉と蒲生和紙は、正保年中(1644~1648)に、鹿児島藩家老の島津久通(ひさみち)(1605―1674)が奨励したことに始まるという。加治木町地区の竜門司焼き(りゅうもんじやき)は島津義弘(よしひろ)が朝鮮半島から連れ帰った陶工たちに焼かせたのが始まりで、県指定文化財。加治木町地区で行われるコガネグモによる「加治木くも合戦」は端午(たんご)の節句の行事(現在は6月の第3日曜日に変更)として著名。蒲生八幡神社の大クスは樹齢1500年ともいわれ、国指定特別天然記念物。重富(しげとみ)海岸は霧島錦江湾国立公園の域内。面積231.25平方キロメートル、人口7万6348(2020)。

[編集部]


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