大橋(読み)オオハシ

デジタル大辞泉 「大橋」の意味・読み・例文・類語

おおはし【大橋】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「大橋」姓の人物
大橋乙羽おおはしおとわ
大橋巨泉おおはしきょせん
大橋鎮子おおはししずこ
大橋新太郎おおはししんたろう
大橋宗桂おおはしそうけい
大橋訥庵おおはしとつあん

おお‐はし〔おほ‐〕【大橋】

大きな橋。地名を冠して橋の名に用いられることが多い。「三条大橋
東京隅田川に架かる両国橋通称

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「大橋」の意味・読み・例文・類語

おお‐はし おほ‥【大橋】

[1] 〘名〙 大きな橋。また、大きなほうの橋。⇔小橋(こばし)
※万葉(8C後)九・一七四二「級照(しなて)る 片足羽川(かたしはがは)さ丹塗りの 大橋(おほはし)の上ゆ」
[2] 大きい橋の名称として、または正式の名称のほかの通称として用いられる。
[一] 近世初期、江戸城大手門の堀にかかっていた橋。のち常盤橋と称された。
慶長見聞集(1614)一「御城の大手の堀に橋ひとつかかりたり。〈略〉是をは大橋と名付たり」
[二] 東京都、隅田川にかかる両国橋の通称。
※随筆・事蹟合考(1772)四「万治二年はじめて大橋一ケ所かけられたるもの、今の両国橋なり」
[三] 東京都、隅田川にかかる新大橋の通称。
咄本・鹿の子餠(1772)尻端折「よくば早く大橋(オオハシ)へ廻りませう」

おおはし おほはし【大橋】

姓氏の一つ

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日本歴史地名大系 「大橋」の解説

大橋
おおはし

馬淵まべち川の下流に架かり、売市うるいち長苗代ながなわしろ内船渡ないみなとを結ぶ。

雑書の承応三年(一六五四)九月一二日条に「八戸御橋百二十間、渡始八月晦日」とあり、万治三年(一六六〇)の「八戸紀行」に「西のかたに虹の一すし見えけるは、まへち川にかかれる長橋なり」とある。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図には「馬淵川 舟渡、広三十五間、深五尺」と記されており、橋はまだみえない。御勘定所日記の明和二年(一七六五)一二月一二日条によれば規模は長さ一〇四間・幅三間半、繰数三四繰。

大橋
おおはし

仙台城と城下を結び、仙台橋とも称した。大手門より東方へ、城下町割の基線となった大町おおまち通に通じる。「貞山公治家記録引証記」慶長六年(一六〇一)条に大橋成就すとあり、横五間・縦五〇間で、大工は与左衛門という。また同年銘のある仙台橋擬宝珠(斎藤報恩会蔵)に「河水千年、民国安泰」などとある。「封内風土記」によると板橋で、長さ六四間・幅二丈五尺。寛政一二年(一八〇〇)の高札帳(斎藤報恩会蔵)には大橋より下流の宮沢みやざわ渡戸までは漁労を許すとあり、ただし「大ふり簗どう然針、毒流付瀬夜網」は停止であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大橋」の解説

大橋 おおはし

?-? 江戸時代中期の女性。
宝暦(1751-64)ごろの京都島原の遊女武士の娘で,和歌冷泉家にまなび,茶道,書道などの教養をいかして人気をえる。のち栗原一素と結婚。晩年出家し,白隠慧鶴(えかく)に師事して慧林と名のった。名は律。号は喬木尼。

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世界大百科事典(旧版)内の大橋の言及

【両国橋】より

…橋は大火の翌年に工事を開始し,翌1659年(万治2)に完成した。当初は大橋,向島の橋とも呼ばれたが,新大橋の完成後両国橋が正式名になった。橋名は川をはさみ武蔵と下総の両国に架されたことにちなんだものである。…

※「大橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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