大日寺跡(読み)だいにちじあと

日本歴史地名大系 「大日寺跡」の解説

大日寺跡
だいにちじあと

[現在地名]東市来町長里

現在の鶴丸つるまる小学校の敷地にあり、鳳凰山と号し、真言宗であった。校内の大銀杏は当時からのものといわれ、近くの鶴丸幼稚園にある仁王像は寺門にあったものと伝えられている(東市来町郷土誌)。江戸時代は鹿児島城下の大乗だいじよう院末寺で、本尊大日如来開基は丹後局、正安元年(一二九九)に定僧が中興したという。北山きたやまの彦十郎が山中に薪を採りにいき、金色の阿弥陀仏を見つけて供養していた。

大日寺跡
だいにちじあと

[現在地名]大淀区中津一丁目

真言宗御室派、山号中台山遍明院、本尊大日如来。昭和四〇年代に奈良県生駒市に移転したが、境内に多くの萩があったので俗に三番の萩さんばのはぎ寺と称した。寺伝によると弘仁年間(八一〇―八二四)嵯峨天皇の勅命を奉じ空海が開創したと伝え、嵯峨・醍醐・後深草三天皇の勅願寺であったという。毎年九月一五日本尊祭会を執行する例があり、「延喜式」(主税上)に「摂津国正税、(中略)大日寺料五千束、修理池溝料三万束、救急料六万束」とあるように稲五千束を下賜され、当時摂津随一の古刹であったと伝える。中世には再三被災して衰微し、文禄三年(一五九四)片桐且元検地の時、寺領はなく本堂の敷地のみであった(大阪府全志)

大日寺跡
だいにちじあと

[現在地名]山科区勧修寺北大日

平安時代前期―中期にあった寺。寺域は名神高速道路の北側に迫る丘陵の、いかにも寺地にふさわしい南斜面(現在は勧修寺農園)の地とされ、東西二町、南北二町の方形と推定される。昭和一一年(一九三六)頃総高一七・五センチの緑釉骨壺が出土した。平安時代初期に骨蔵器として埋納されていたもので、火葬墓の一資料として貴重(国指定重要文化財)土器と瓦も出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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