大井広介(読み)おおいひろすけ

百科事典マイペディア 「大井広介」の意味・わかりやすい解説

大井広介【おおいひろすけ】

評論家。福岡県生れ。本名麻生(あそう)賀一郎。嘉穂中学卒。1930年,上京し,《人民文庫》系の《槐(えんじゅ)》に参加したが,1939年,《槐》廃刊,人民文庫系の人々と決別し,平野謙らと《現代文学創刊文芸時評を執筆した。1940年,書き下ろしで《芸術の構想刊行。時局便乗文学と左翼公式主義の双方を批判し,独自の立場をとった。この姿勢は戦後も一貫し,日本共産党批判《左翼天皇制》(1956年)などにその面目があらわれている。ほかに《文学者の革命実行力》《プロ野球騒動史》《ちゃんばら芸術史》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大井広介」の解説

大井広介 おおい-ひろすけ

1912-1976 昭和時代の評論家。
大正元年12月16日生まれ。昭和14年平野謙,小熊秀雄らと「現代文学」を創刊。戦後は,党派に属さぬ評論活動を展開。また異色の野球評論家で「プロ野球騒動史」がある。昭和51年12月4日死去。63歳。福岡県出身。嘉穂(かほ)中学卒。本名は麻生賀一郎。著作に「文学者の革命実行力」「左翼天皇制」など。

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