多可(読み)たか

改訂新版 世界大百科事典 「多可」の意味・わかりやすい解説

多可[町] (たか)

兵庫県中央部,多可郡の町。2005年11月加美(かみ)町,中(なか)町,八千代(やちよ)町が合体して成立した。人口2万3104(2010)。

多加町北部の旧町。多可郡所属。1960年町制。人口7204(2005)。町名は《播磨国風土記》の賀負里(かみさと)にちなむ。加古川支流の杉原川上流域を占め,町域の大部分山林である。平安時代からコウゾを原料とする杉原紙の産地として知られ,江戸後期まで和紙の生産が盛んであった。明治になって和紙の生産は衰え,大正時代には廃絶されたが,現在は杉原紙研究所が設けられ,伝統技術の保存につとめている。播州織物地帯の一角を占め織物業が盛んで,米作と地鶏の飼育を中心とする農業と杉,ヒノキの良材を産する林業も行われる。

多可町東部の旧町。多可郡所属。人口1万1256(2005)。加古川支流の杉原川が中央を南東流し,沿岸に水田集落が展開する。播州織の中心的産地の一つで,明治初年より織物業が発展した。織物工場は中村町に多く,先染織物の技術をいかしてジャカードクロスなどの輸出が盛んであったが,国内向けに移行してきている。就業人口の半数近くが製造業に従事し,織物のほか食品,弱電,金属加工の工場もある。農業は稲作中心で,良質の酒造米の産地として知られる。

多可町南西部の旧町。多可郡所属。人口5844(2005)。南東は西脇市に接する。中国山地の南東端にあたり,町域の大部分は山林,原野である。加古川の支流野間川が南流し,川沿いに水田と集落が開ける。耕地が狭く農業経営は零細で,早くからシイタケ栽培,冬の寒気を利用した凍(しみ)豆腐の製造,織物などの副業が盛んであった。しかし第2次大戦後,凍豆腐の製造法は機械冷凍に変わった。西脇市に近い南部の大和地区では,播州木綿の生産が行われるが,近年の不況苦境に陥っている。笠形山(939m)は〈播磨富士〉とも呼ばれる山容の美しい山で,登山者が多い。
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