杉原紙(読み)すぎはらがみ

精選版 日本国語大辞典 「杉原紙」の意味・読み・例文・類語

すぎはら‐がみ【杉原紙】

〘名〙 鎌倉時代播磨国揖東郡杉原村兵庫県多可郡加美町)で産したといわれる紙。奉書紙に似てやや薄く種類が豊富で、主に武家の公用紙として用いられた。のち一般に広く使われるようになると各地で漉(す)かれた。近世から明治にかけて色を白くふんわりと仕上げるために米糊(こめのり)を加えて漉かれ、「糊入れ紙」「糊入れ」と称された。すぎはら。すいばら。すぎわらがみ。
北条九代記(1333頃)上「承久元年己卯〈略〉、杉原紙始而流布」

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デジタル大辞泉 「杉原紙」の意味・読み・例文・類語

すぎはら‐がみ【杉原紙】

播磨はりま国杉原谷(兵庫県多可郡多可町)原産和紙原料コウゾで、奉書紙より薄く柔らかい。鎌倉時代以降、慶弔・目録版画などに用いられ、贈答品としても重宝された。近世には各地から産出。すいばら。すぎわらがみ。

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百科事典マイペディア 「杉原紙」の意味・わかりやすい解説

杉原紙【すぎはらがみ】

コウゾを原料とした手すき和紙奉書紙に似て柔らかいが,やや薄い。名は平安時代に播磨(はりま)にあった藤原家の荘園椙原庄(すぎはらしょう)で作られたことに由来する。鎌倉期以降さかんに製造されるようになり,需要の増加にともなって各地で杉原紙に似た紙がすかれ,越前杉原,備中杉原,加賀杉原などの名で呼ばれた。杉原紙はとくに武士や僧侶の間で慶弔用に用いられたほか,贈答用,目録用,錦絵(にしきえ)用などに広く使用された。小判小杉原は男子用の高級懐紙として好まれた。近代以降,生産が絶えていたが,1972年,発祥の地である兵庫県加美町(現・多可町)に杉原紙研究所が設けられて以来,再び生産されている。
→関連項目加美[町]糊入紙半切

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改訂新版 世界大百科事典 「杉原紙」の意味・わかりやすい解説

杉原紙 (すぎはらがみ)

中世に武士や僧侶が贈物に盛んに用いた和紙で,ひきつづき近世まで使われた。杉原紙の起源については,美濃説(岐阜県揖斐川町の旧藤橋村)と播磨説(兵庫県多可郡杉原谷村,現多可町)の論議があったが,現在は播磨説が定説となっている。この地は椙原(すぎはら)庄とよばれ平安時代から製紙が行われていたが,盛んになったのは鎌倉時代以後で,とくに武士や僧侶の間で〈一束一本〉(杉原紙1束(10帖)に末広1本を加える),〈一束一巻〉(杉原紙1束の上に紋緞子1巻をおく)などと称して贈物に使われた。室町初期に成立したと思われる《書札作法抄》には,武家は杉原でなくては文を書かぬこと,ゆめゆめ引合(ひきあわせ)・檀紙(だんし)などには書くべからずとある。杉原紙は檀紙より小さくて薄かったといわれ,檀紙ほど格式ばっていなかったのが新鮮で,新興階級の武士の趣向にあったものと思われる。江戸時代になると,各産地で杉原紙がすかれ,庶民も杉原紙で手紙を書くようになり,大衆化した。それにともない,杉原紙の呼名も〈すいはら〉〈すいばら〉〈すいば〉〈すい〉などとくずれていき,水原と書く場合もみられるようになった。近代になって生産が絶えていたが,1972年にゆかりの地の加美町で,町営の製紙場である杉原紙研究所が設けられ,活発な生産が行われている。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「杉原紙」の解説

杉原紙
すぎはらがみ

「すいばらがみ」とも。椙原(すぎはら)紙・水原(すいばら)紙とも。播磨国杉原谷(現,兵庫県多可町加美区)で生産された代表的な楮紙(ちょし)。1219年(承久元)にはすでに流布していた。室町時代には京都を中心に幅広く用いられ,贈答用として珍重された。杉原紙10帖に末広1本を添えた「十帖一本」は献上品の一つの様式として定着し,江戸時代にも用いられた。広く流布し,播磨国以外でも類似品が生産されるようになった。

杉原紙
すいばらがみ

杉原紙(すぎはらがみ)

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デジタル大辞泉プラス 「杉原紙」の解説

杉原紙

兵庫県多可郡多可町で生産される和紙。原料はコウゾなど。名称は、7世紀頃に同町加美区の北部に位置する杉原谷地区で、杉原紙の前身となる「播磨紙(はりまのかみ)」の製造が始まったことにちなむ。一時期製造が途絶えたが、当時の加美町が1972年に「杉原紙研究所」を設立して復活。1983年には県の重要無形文化財に指定。

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旺文社日本史事典 三訂版 「杉原紙」の解説

杉原紙
すぎはらがみ

播磨国(兵庫県)杉原村で漉かれた和紙
「すいばらがみ」とも読む。1219年初めて流布したといわれ,初め武家に,南北朝ころより貴族・寺社にも,文書・目録・贈答用などとして用いられ,中世末期には美濃をはじめ各地でつくられるようになった。

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事典 日本の地域ブランド・名産品 「杉原紙」の解説

杉原紙[紙工芸・和紙]
すぎはらがみ

近畿地方、兵庫県の地域ブランド。
多可郡多可町で製作されている。楮を原料とする和紙。1970(昭和45)年に昔ながらの技術技法が再現され、今日では書道用和紙やカラフルな民芸紙類が漉かれている。兵庫県伝統的工芸品。

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世界大百科事典(旧版)内の杉原紙の言及

【因州紙】より

…しかし,しだいに伯耆は鉄,因幡は紙と代表的な産物が分かれていった。中世の中央の文献に因幡紙の名は出てこないが,中世末期の事情を反映している江戸初期の《毛吹草》には,用瀬(もちがせ)町家奥の椙原(すぎはら)(杉原紙)と河原町曳田(ひけた)の鼻紙が因幡の名産とされている。《紙譜》(1777)には,各種の奉書と杉原紙(地肌が美しいと評判)とともに,小半紙,小杉,障子紙などの日用品があげられている。…

【加美[町]】より

…加古川支流の杉原川上流域を占め,町域の大部分が山林である。平安時代からコウゾを原料とする杉原紙の産地として知られ,江戸後期まで和紙の生産が盛んであった。明治になって和紙の生産は衰え,大正時代には廃絶されたが,現在は杉原紙研究所が設けられ,伝統技術の保存につとめている。…

【畳紙】より

…〈たたみがみ〉の音便で,衣冠束帯のときに懐中する紙をいう。帖紙とも書く。《枕草子》に〈みちのくに紙の畳紙の細やかなるが〉とあり,最初はあまり厚くない檀紙(だんし)をたたんだものと想像される。のちには〈引きあわせ〉〈杉原〉など,主としてコウゾ系統の厚様(あつよう)が使われたが,ガンピ系統の〈鳥の子〉の例もないではない。武家では〈杉原〉を使うのが故実であるが,直垂(ひたたれ),狩衣(かりぎぬ),大紋などを着るときは必ず色目のあるものを用いたという。…

【播磨国】より

…農林業でいえば13世紀の国内の山林荒野の開発はめざましく,1276年(建治2)播磨淡河(あわかわ)荘と摂津山田荘の境界争いは,相互の開発拡大が国境争いにまで到達したものといえよう。手工業でも,杉原紙は近衛家領椙原荘が中心であり,また1191年の長講堂領目録には松井荘の特産として鍋や鉄輪がみえるのも,製鉄や鋳物業の発達を物語る。それにともない交易市場や物資集散港が発達する。…

※「杉原紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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