夏焼村(読み)なつやけむら

日本歴史地名大系 「夏焼村」の解説

夏焼村
なつやけむら

[現在地名]下呂町夏焼

北西流する竹原たけはら川の支流川流域にある。飛騨街道の古道が宮地みやじ村から竹原峠越で当村に至り、南西へ向かう。輪川と竹原川の合流地点から輪川沿いにさかのぼる道もあった。中世から近世初期にかけては、輪川流域の田口たぐち村・蛇之尾へびのお村を含め和川わがわ(河)村と称した。当地白山神社蔵の応永一九年(一四一二)八月一日から同二五年一一月に至る大般若経奥書に「飛州益田郡下呂郷之内和川村」とある。


夏焼村
なつやけむら

[現在地名]平村夏焼

高草嶺たかそうれい村から南へ登った標高五〇〇メートルの平地に位置する。高草嶺村からの道が山の神やまのかみ峠を越えて利賀とが谷へ通じる。東は山、西に庄川を見下ろす。高草嶺村の枝村のように村役・宮・寺を一つにしてきた。寛永七年(一六三〇)の高二二石余、免四ツ四歩一厘(高・免とも幕末まで変化なし)、納所金子三両一匁六分余・塩硝代三匁二分余(「検地見図帳並免定目録」川合家文書)正保郷帳では田方一反余・畑方一町三反余。明暦二年(一六五六)以後、納所金子四両一匁一分余・塩硝役金子一匁三分余・手上金子九分余、蝋・漆・蓑・紙役金子一匁一分余、計五両一分余を課せられており、この代銀二三三匁余を夏成・冬成の両度に納めた(天保一〇年「草高免付百姓数品々帳」利賀村公民館蔵)


夏焼村
なつやけむら

[現在地名]稲武町夏焼

矢作川支流名倉なぐら川右岸、標高八八九・一メートルのじようヶ山北麓に位置する。南は稲橋いなはし村。寛永一三年(一六三六)以前は武節ぶせつ郷のうち名倉川川東五ヵ村の一で、稲橋村庄屋のもとにあった。天正一八年(一五九〇)太閤検地を受けたと伝え、反別二町七反余・高二五石余という(北設楽郡史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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