北設楽郡(読み)きたしたらぐん

日本歴史地名大系 「北設楽郡」の解説

北設楽郡
きたしたらぐん

面積:六五一平方キロ
設楽したら町・東栄とうえい町・豊根とよね村・富山とみやま村・津具つぐ村・稲武いなぶ

県の東北端に位置する。木曾山脈の南端の山岳地帯で、ここから発する河川は、東部では坂宇場さかうば川・古真立こまたて川が大入おおにゆう川となって大千瀬おおちせ川に合流し、天竜川に注ぐ。北西部では、野入のいり川・名倉なぐら川が矢作川に注ぐ。南西部では当貝津とうがいつ川・栗島くりしま川・さかい川・野々瀬ののせ川が豊川に注ぐ。集落や耕地は、これら分水の流域に散在し、全面積の九〇パーセント以上は山林である。東は静岡県磐田いわた郡、北は長野県下伊那しもいな郡・岐阜県恵那えな郡、西は東加茂ひがしかもあさひ町・足助あすけ町・下山しもやま村、南は南設楽郡作手つくで村・鳳来ほうらい町に接する。

「延喜式民部省頭注」によると、設楽郡は延喜三年(九〇三)八月一三日に宝飯ほい郡を分けてできた郡で、「割宝飯郡置設楽郡」とある。

〔原始・古代〕

津具村松山まつやま豊根村茶臼ちやうす山、設楽町市場口いちばぐちから先土器時代の遺物がみられた。縄文時代の遺跡は各分水流域の小平地や河岸段丘上に多く、郡内で二八八ヵ所が確認されている。早期の遺跡は山腹や鞍部に多くみられ、設楽町の大名倉おおなぐら遺跡は早期から晩期に至る郡内有数の複合遺跡である。前期の津具村の鞍船くらぼね遺跡からは竪穴住居跡とともに関東諸磯B式、関西の北白川下層式土器がみられた。中期の遺跡は郡内全般で確認され、規模や遺物の量も多い。後期の遺跡も設楽町のマサノさわ遺跡のように、土器を多量に出土する例が多い。晩期のものは水神平式土器が多くみられ、引田ひきた遺跡のように炭化した稗が出土したものもあり、早期のものより低位にみられる例が多い。

弥生時代遺跡の数は縄文時代のものに比して少ない。天竜川水系の東栄町・津具村・豊根村に二八ヵ所、豊川水系の設楽町に一四ヵ所、矢作川水系の稲武町に一二ヵ所が確認されている。遺跡はおもに、それぞれの分水流域のやや広い平地部である東栄町の本郷平ほんごうだいら、津具村の津具平、設楽町の田口平たぐちだいら、稲武町の稲武平・名倉平にみられる。遺跡の主なものは縄文遺跡と複合している。古墳は本郷平に五基、名倉平に一七基、稲武平に一基確認されており、隣接する長野県下伊那郡や岐阜県恵那郡の例に比してきわめて少ない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報