増田繁幸(読み)ますだ・しげゆき

朝日日本歴史人物事典 「増田繁幸」の解説

増田繁幸

没年:明治29.3.14(1896)
生年:文政8.6(1825)
明治期の政治家。通称歴治。仙台藩校養賢堂に学び,同藩参政などをを務める。戊辰戦争当時会津征討の参謀として白河口に参戦。維新後仙台藩大参事,一関県(岩手県)参事,磐井県(岩手県南から宮城県北)権令などを歴任。旧仙台藩士族と共に第七十七国立銀行創立に尽力,明治11(1878)年同行開業と同時に取締役。12年県会議員当選,以降十余年ほとんど議長を務める。早くから国会開設請願運動に参加,宮城改進党総理,宮城政会副会長となる。第1回総選挙に当選,大成会所属。第2回総選挙には出馬しなかったが第3議会直前の温和派議員糾合工作に関与。25年5月,貴族院議員勅選される。

(村瀬信一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増田繁幸」の解説

増田繁幸 ますだ-しげゆき

1825-1896 幕末-明治時代武士,政治家。
文政8年6月生まれ。陸奥(むつ)仙台藩士。戊辰(ぼしん)戦争では会津攻めの参謀として白河口に出兵。維新後,仙台藩大参事,宮城県会議長などを歴任し,明治23年衆議院議員。25年貴族院議員となる。明治29年3月14日死去。72歳。通称は歴治。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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