むつ

精選版 日本国語大辞典 「むつ」の意味・読み・例文・類語

むつ【むつ】

青森県北東部の地名下北半島の屈曲部にあり、大湊湾に面する。第二次大戦まで旧日本海軍要港として知られた大湊港、日本三大霊場の一つ恐山がある。昭和三四年(一九五九大湊田名部市として市制。翌年むつ市に改称。

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デジタル大辞泉 「むつ」の意味・読み・例文・類語

むつ[船舶]

日本初の原子力船。昭和43年(1968)に起工。名称は進水時の港があった青森県むつ市にちなむ。昭和49年(1974)、出力上昇試験中に放射線漏れを起こし、以降、各地で母港化反対の声が上がった。平成3年(1991)に8万キロメートル以上もの実験航海を行ったが、翌年に原子炉が停止された。原子炉を撤去したのち、大型海洋調査船「みらい」として改造された。

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改訂新版 世界大百科事典 「むつ」の意味・わかりやすい解説

むつ[市]

青森県北部,下北半島にある市。2005年3月旧むつ市が大畑(おおはた)町,川内(かわうち)町,脇野沢(わきのさわ)村を編入して成立した。人口6万1066(2010)。

むつ市北部の旧町。旧下北郡所属。人口9159(2000)。下北半島北部の中央を占め,津軽海峡に面する。恐山山地の北にあたり,町域の95%は山林で,大畑川,正津川下流にわずかに耕地があるが,偏東風(やませ)が強く農業は振るわない。中心の大畑は大畑川河口にあり,近世に木材の積出港として発達し北前船でにぎわった。山林の大部分を占める国有林は現在もヒバの美林が多く,製材は町の主要産業の一つである。明治中ごろからイカ漁が盛んとなり,1934年大畑漁港の修築を機に町制が施行されて以後は,イカ漁を中心とした漁業が町の中心産業となった。イカ珍味などの水産加工も盛ん。恐山北麓の山中にある薬研(やげん)温泉は大畑川の渓谷美に恵まれ,さらに上流2kmにはかつて湯ノ股温泉と呼ばれた奥薬研温泉があり,緑色凝灰岩をくりぬいた露天の千人風呂で知られる。大畑は39年に開通した国鉄大畑線(のち下北交通大畑線。2001年廃止)の終点で,旧むつ市の下北と結ばれていた。いたこで有名な恐山は旧むつ市の飛び地であった。

むつ市西部の旧町。旧下北郡所属。人口5747(2000)。斧形をした下北半島の斧頭部にあり,陸奥湾に面する。下北山地が大部分を占め,町域の95%は山林である。中心の川内は近世にヒバ材の積出港として発展した。川内川中流の安部城には大正年間に硫化鉄鉱の安部城鉱山が開発され最盛期には従業員約1000人を擁したが,昭和に入って産出量が減少し,1952年に休山した。川内川沿いにわずかな耕地があるが,農業はあまり振るわず出稼ぎが多い。川内には漁港があり,ホタテガイの養殖が盛んとなっている。川内川上流には湯野川温泉があり,山間の閑静な湯治場として親しまれている。佐井大間方面へ〈かもしかライン〉が通じ交通の便がよくなった。
執筆者:

むつ市東部の旧市で,下北半島の頸部に位置する。1959年田名部(たなぶ)町と大湊町が合体して市制を施行,大湊田名部市と称したが,翌60年現名に改称。人口4万9341(2000)。北は津軽海峡を隔てて北海道に相対し,南は大湊湾を抱く。田名部は南部藩時代から下北半島の経済的中心として海産物や木材の取引が行われ,代官所も置かれた。1870年(明治3)には官軍に敗れた会津藩が3万石に減封されて田名部に移され,斗南(となみ)と称した。大湊は海軍の根拠地として発展してきた軍港都市で,第2次大戦後は海上自衛隊の基地となっている。1960年下北総合開発計画に基づいて地元の資源の砂鉄を原料とする〈むつ製鉄〉の建設が計画されたが,産業界の情勢変化もあって64年に計画は中止された。67年日本初の原子力船〈むつ〉の母港が〈むつ製鉄〉建設予定地に置かれた。その後放射能漏れ事故が発生したため75年母港の移転が決められ,津軽海峡側の関根浜に新母港が88年に建設されたが,95年原子力船〈むつ〉は解体された。酪農やホタテガイ,ノリの養殖が行われる。JR東北本線の野辺地(のへじ)から大湊線が分岐して大湊まで通じ,さらに大湊線の下北からバス路線が分かれ,田名部を経由して大畑,大間,佐井に至る。田名部からは恐山へのバスが出る。
執筆者:

むつ市南西端の旧村。旧下北郡所属。人口2775(2000)。下北半島の南西端に位置し,西は平舘海峡,南は陸奥湾に面する。村域の8割以上が山村で,そのほとんどが国有林である。中心の脇野沢は近世,ヒバ材の積出港として栄え,北陸方面との交易が盛んであった。またタラは陸奥湾随一の水揚げがあり,おもに江戸方面へ運ばれた。西海岸は北の仏ヶ浦から続く豪壮な海食崖で,下北半島国定公園に指定されている。南端の牛ノ首岬の沖400mにある鯛島には坂上田村麻呂にまつわる伝説を伝える弁才天がまつられ,周囲は海中公園となっている。南西岸の北海岬に近い小漁村の九艘泊(くそうどまり)付近には100頭を超えるニホンザルが生息し,世界最北限の野生猿として特別天然記念物に指定されている。また九艘泊には,源義経の伝説も残る。青森市や外ヶ浜町の旧蟹田町との間にフェリーが通じる。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「むつ」の意味・わかりやすい解説

むつ

日本原子力船開発事業団が建造した,日本最初の原子力商船。 1968年に石川島播磨重工業東京第2工場で起工,69年に進水。総工費は約 70億円,全長 130m,幅 19m,深さ 13.2m,総トン数は 8350tで,特殊貨物船 (実験船) 。むつ市の原子力船定係港に回航されたのち,三菱原子力工業の手で原子炉 (PWR型炉,熱出力3万 6000kW,約1万馬力) が積込まれ,74年臨海実験に成功した。速力は約 16.5kn,乗組員は 79人で,3t弱のウラン燃料を使えば地球を7~8周することができるといわれたが,74年9月,放射線漏れの事故を起し,漁民らの反対で母港を移すことになった。このため,77年 10月長崎県佐世保港へ回航,78年7月から 82年8月まで佐世保重工業で修理を行なったのち大湊港に帰投,関根湾の新母港が完成するまで同港に停泊。しかし,新母港の建設には多額の費用と長期の時日を必要とし,また,原子力船の平和利用は見直し時期にあるため,実験船としての原子力船『むつ』をこれからどう取扱うかが問題となった。 91年の第3次実験航海終了後,関根浜港において解役工事を行い廃船となった。

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世界大百科事典(旧版)内のむつの言及

【原子力船】より

…日本では,1955年ころから原子力船に関する調査,研究が始まり,61年原子力開発利用長期計画において70年を目途に原子力第1船を建造することを決定,63年には日本原子力船開発事業団が発足した。こうして69年,特殊貨物船である原子力船〈むつ〉が進水した。この事業団は85年から日本原子力研究所に併合し,原子力第2船の検討を含めた事業を継続する。…

【原子力発電論争】より

…電力業界が高い授業料を払い,苦心のあげくに全出力営業運転にようやくこぎつけたのは71年のことであるが,その時はすでにせっかくのガス炉についての経験はただ1基だけで放棄され,新たにアメリカからの軽水炉導入路線に乗り換えつつあった。
[法廷論争]
 埼玉県大宮市に三菱原子力工業が原子力船〈むつ〉の原子炉に使用する核燃料を試験する目的で設置した臨界実験装置(法律上原子炉と同じ扱いを受ける)の撤去を要求して住民が起こした訴訟が,日本における原子力法廷論争の始まりである。企業秘密をたてに資料公開を拒む三菱側に対し,裁判所が強制提出を命令するに及び,会社側は撤去に同意し住民側と和解する道を選んだ(1974年7月)。…

※「むつ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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