和田寺(読み)わでんじ

日本歴史地名大系 「和田寺」の解説

和田寺
わでんじ

[現在地名]篠山市今田町下小野原

和田谷わだだににある。天台宗で二臈山と号する。本尊千手観音。播磨国清水きよみず(現社町)の末で、「丹波志」によれば、古くは南東の和田寺山上にあって日照山東光とうこう寺と号していたとされる。所伝では大化二年(六四六)法道の開創で、弘仁一一年(八二〇)には妙法みようほう(現京都市東山区)末となるが、元暦元年(一一八四)二月兵火により焼失したという。文治元年(一一八五)清水寺の二臈理円により再建されたと伝える。文保元年(一三一七)一二月日の某東光寺山寄進状(和田寺文書)に「東光寺」「東光寺山」と記されるが、西光さいこう(現廃寺)とともに清水寺からの方角にかかわる寺号と考えられる。

和田寺
わだじ

[現在地名]匹見町匹見

広見ひろみ川下流右岸、山根下やまねしも集落の山麓に寺屋敷があり、現在仮小堂が建つ。東向山と号し、本尊は阿弥陀如来釈迦如来・善導大師・円光大師も祀る浄土宗の古刹で、開基は嘉禎年間(一二三五―三八)浄土宗第三祖記主禅師と伝える(「和田寺由来記」蓮長寺蔵)。記主禅師は向野田むかいのだ(現三隅町)に生れ、本名を良忠、号を然阿という。弘安二年(一二七九)鎌倉に没したとされる(三隅町史)。元和年中(一六一五―二四)大森おおもり代官所(現大田市)の竹村丹後守が長州の僧貞閑を当時無住の当寺へ迎え入れたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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