呉昌碩(読み)ゴショウセキ(英語表記)Wu Changshuo

デジタル大辞泉 「呉昌碩」の意味・読み・例文・類語

ご‐しょうせき〔‐シヤウセキ〕【呉昌碩】

[1844~1927]中国、清末近代の文人画家安吉浙江せっこう省)の人。名は俊卿しゅんけい。昌碩はあざな。号、缶廬ふろ・苦鉄など。花卉かき画・山水画を得意とし、また篆刻てんこくにすぐれた。詩集「缶廬集」など。ウー=チャンシュオ。

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精選版 日本国語大辞典 「呉昌碩」の意味・読み・例文・類語

ご‐しょうせき ‥シャウセキ【呉昌碩】

中国、清末の書家、画家。名は俊卿。号は缶廬(ふろ)など。石鼓(せっこ)文字研究は古今第一と称される。画は花卉(かき)山水を得意とし、詩文もよくした。また、篆刻(てんこく)第一人者といわれた。呉蒼石。(一八四四‐一九二七

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呉昌碩」の意味・わかりやすい解説

呉昌碩
ごしょうせき
Wu Changshuo

[生]道光24 (1844).8.1. 浙江,安吉
[没]1927.11.6. 上海
20世紀前半に活躍した中国の篆刻家,画家,書家。名は俊卿,字は香補,中年以降は昌碩。号は缶廬(ふろ),苦鉄,破荷亭長,大聾。学者の家系に生まれ,10歳の頃には詩作篆刻を始めていた。若くして科挙に合格して家庭ももちながら,余暇に美術や詩の勉学に励んだ。生涯を通じて篆刻の研究に力を注ぎ,この分野の重要な手引書を多数著した。浙派と晥派(安徽派)に篆刻を学び,代の石刻の影響を受けた。のちに「呉風」と呼ばれる独自の作風は,伝統的な書の技法と,洗練された芸術性と力強さの融合から生まれたものである。書は初めに代の楷書,次に漢代の隷書を修練し,のちには石鼓文をはじめとする大篆(→篆書)を得意とした。絵画を学び始めたのは 30歳を過ぎてからで,書の技法を絵画に応用することを任伯年から勧められたことが契機だった。金石派(→金石学)の巨匠趙之謙からは金石文書体の応用法を学んだ。鮮やかな色彩と大胆で簡明な筆致を組み合わせ,明瞭かつ直接的な表現形式を生み出して,伝統的な文人画を斬新で 20世紀にふさわしいものにした。特に花卉画(→花鳥画)で知られる。1882年に家族とともに蘇州に移り住み,著名な書家・学者の楊峴ようけん)のもとで詩と書の研鑽を積んだ。翌 1883年に任伯年と知り合う。1899年,江蘇省安東県の県令(県の長官)につくが,わずか 1ヵ月で辞任し,作品を売って生計を立てる道を選んだ。60歳代半ばに上海の政界,慈善界,芸術界に影響力のある王一亭と出会い,1909年に王を含む友人とともに初の慈善芸術団体,豫園書画善会(よえんしょがぜんかい)の設立に携わった。1913年に上海に居を落ち着け,西泠印社(せいれいいんしゃ)の建社 10年に際して初代社長に推挙されるなど,多数の地方芸術団体に精力的に参画した。呉の芸術は日本でも高く評価され,作品が広く収集された。著作に,書画集『苦鉄砕金』,『缶廬近墨』,印譜『削觚廬印存(さくころいんそん)』,『缶廬印存』,詩集『缶廬集』などがある。(→中国美術

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改訂新版 世界大百科事典 「呉昌碩」の意味・わかりやすい解説

呉昌碩 (ごしょうせき)
Wú Chāng shuò
生没年:1844-1927

中国,近代の画家。名は俊卿,昌碩は字,号は缶廬(ふろ)。浙江省吉安県鄣呉村の人。清末・民国初期の中国画壇における中心的存在。彼の誕生の4年前にアヘン戦争が勃発し,外国の侵略が激化する。また国内では社会経済上に変革が起こって封建社会から半植民地・半封建社会へと移行した大変革期であった。17歳のとき太平天国運動の波が彼の故郷浙江省にも押し寄せた。この時期に弟と妹が相前後して飢饉で死ぬという苦難をなめた。しかし腐敗した清朝への絶望感から反清打倒の心情を筆墨に託した。30歳ころから本格的に絵画創作を始めて以来,明の徐渭や明末・清初に革新的芸術を樹立した石濤や大胆な筆致に富む趙之謙等の画風をよく吸収して竹石,山水をよくし,なかでも花卉(かき)画に独自の絵画を創造した。書画のほか詩文,篆刻もよくし当代の第一人者といわれた。彼の芸術は中国ばかりでなく日本にも多くの愛好家がいた。
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百科事典マイペディア 「呉昌碩」の意味・わかりやすい解説

呉昌碩【ごしょうせき】

中国,清末の画家。浙江省の人。名は俊卿,昌碩は字。缶盧(ふろ),苦鉄,大聾などと号す。初め書を志し,石鼓文に基づいて篆刻(てんこく)を得意とした。画は比較的晩年に始め,八大山人石濤を学んで個性的で雄健な花卉(かき),竹石などを描いた。
→関連項目王一亭

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉昌碩」の意味・わかりやすい解説

呉昌碩
ごしょうせき

呉俊卿

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