日本大百科全書(ニッポニカ) 「文字」の意味・わかりやすい解説
文字
もじ
「もんじ」ともいい、言語を点や線の組合せで単位ごとに記号化するもの。
[日下部文夫]
本質
ことばを書きとどめ、それを読み取るには、文字writingがなければならない。文字は、図形記号の一そろいで、読み書きliteracyの基準をつくる表記notationを築く成分である。字characterは、その構成単位。言語は、元来音声記号の時間的配列だが、それを文字で図形記号の空間的配列に置き換える。それが表記であり、言語の保存、移動、再生をデジタルな段階で可能にする。音声言語は、一次元の線なりに延び、来ては去っていく。そのたびに選び取られた記号が前後に連なる音列として現れる。二次元面に線なりの音列そのままに言語を写し出す文字列が表記をつくる。絵が物語を映しても、それは表記ではない。音声言語に対応する文字列が表記である。たとえば、漢数字は、「三万五千八百六十四」のように、個々の言語記号に忠実に向かい合い、音列に沿う文字列を展開する。しかし、アラビア(算用)数字は、音形に向かい合うとも、音列に沿うとも定まらず、したがって文字とはいえない。読み書きは言語活動であり、表記には言語、文字には音韻、文字列には音列が対応する。アラビア数字は、もっぱら数という意味内容を示し、かならずしも音列が対応しない。たとえば、フランス語でいう80quatre-vingts(カトル・ヴァン)(四つ二十)を「八十(八つ十)」としては困るが、80なら、言語を超えて通用する。その一方で、もっぱら音声を示す音声記号は、言語音を追いながら、かえって単位音のデジタルな弁別的性格を崩す。物理的・生理的な現実音にできる限り近づこうとして、記号にアナログ的な連続性を取り込むあまり、弁別(べんべつ)機能をあいまいにするからである。語であれ、音節であれ、音素であれ、音列の構成単位が文字にあてられる。文字は、構文上か形態上か語彙(ごい)上か、いずれかの別こそあれ、言語としての有意の異同に基づいて表記を書き分ける。言語単位をその異同のままに過不足なく忠実になぞって際だたせる。たとえば、現代日本語のハネ音の音価が、たとえ[m][n][ɲ][ŋ][N]などと異なろうとも、文字では「ン」または‘n’としか書かない。その一方で、同音の[jɯ:]でいわれる3語が、「ゆう」または‘yuu’で「(髪を)結う」、「いう」または‘iu’が「(物を)言う」、さらに‘yû’で「(1日の)夕」とそれぞれ異なる語として書き分けられる。なお、句読(くとう)点は、文字を補って、現代の表記をまとめるたいせつな要素である。数字や音声記号とは異なり、言語の単位とその配列に忠実に従っている。文字の単位は字であるが、表記の単位は語から文、さらに句読点を加えて文章に及ぶ。
文字表記には、その目的によって幾通りかがある。
(1)正書法orthographyは、日常、公私の記述に用いられる制式である。現代日本語の場合は、これに、漢字仮名交じり、仮名専用、ローマ字書きの3種類があるが、漢字の字種と用法には揺れがある。
(2)音韻表記phonological notationは、語形の単位である音素phonemesに対応して記述される。これが正書法の理想像でもある。多くの正書法のうちでハングル(朝鮮文字)などは、これに近い。
(3)転写transcriptionは、外来語音を母語の表記法になじむように表記する方式で、本来便宜的処置である。明治初期「ローマ字会」が子音表記を英語にならった方式をとり、これがJ. C. Hepburn編著の「和英語林集成」の改訂版に採用された。いわゆるヘボン式ローマ字として普及したが、これは、英文むきの転写法にあたる。漢字音による転写は無原則で、諸国の固有名詞の例が多い。
(4)翻字transliterationは、原典の表記文字を別種の文字に置き換え相互交換を可能にする。1989年に国際標準化機構(ISO)が日本語の翻字法として定め、それに先だつ再度の内閣訓令もあり、音韻論的基礎も確かな、いわゆる訓令式ローマ字は、仮名書きからの翻字法である。この普及徹底がおぼつかない現状は、国際情勢および行政上の機構運用にかかわる課題である。なお、点字などもこれに類する。
(5)音標(正音表記)orthoepical notationには中国の'pinyin'または「注音字母」があって、もっぱら語音の標準的発音を示す。国家、国民をまとめる民族語の基盤を整えるのに役だっている。
(6)国際音声記号international phonetic signsは、まったく言語音声の記述研究のために用い、辞書では語音の注記などにも流用されるが、公共一般の言語表記には、かかわらない。文字は暦や秤(はかり)、通貨などとともに、記数法と並ぶ文明の手足であり、本来、多様な民族文化間で流通する文明の基準である。しかし、仮名やハングルは、珍しく孤立している。
[日下部文夫]
類型
文字の類型を追えば、発達史をなぞることになる。まず単語文字から始まり、字母文字に至る。異言語間での借用が文字の発達階梯(かいてい)を進めさせたのは、ヒトにとって文字が巣立って間がないからである。
(1)固まり文字consolidated writing――単語文字logography。字数が多い。造字は、単純な象形(すなわち「文」)や指事か、それらの複合、すなわち会意を基本とし、多くは、義符determinative(部首)と音符phonetic indicator、ときに補足符号phonetic complementsの結合による形声(諧声(かいせい)、すなわち「字」)である。近くは、手へんに扇で「あおぐ」や金へんに雷で「ラジウム」と新造したように、字数に限りがなく、日本では国字、ベトナムでは字喃(チュノム)が加えられた。各字が語か造語成分のいずれかに結び付いているのが単語文字であり、少なくとも語根の数だけの字がそろえられる。(i)1音節型は、中国語のような一音節語根で語形ができている場合で、各字が一定の音節に対応している。しかし、蜻蛉(チンリン)(蜻蜓(チンティン))、駱駝(ルォトゥオ)、葡萄(プウタオ)、玻璃(ブォリー)のような場合は2音節で、2字でつづってこそ意義がまとまる。単語文字が、日本語などで、(ii)多音節型になっているのは、その語形が――音読でも「鉄(てつ)」や「筆(ひつ)」、訓読でも「鉄(くろがね)」や「筆(ふで)」と――多音節で現れるからである。エジプトの聖刻文字hieroglyph、メソポタミアの楔形(くさびがた)文字cuneiformには多音節字がある。しかも、音符としては、頭音法acrophonyによって、1音節字となり、音節文字化さえする。単語文字は、表意字ideogramsと表音字phonogramsとを兼ね備えている。基本の語形が無変化の単音節である中国の漢字を典型とする。
(2)つづり文字concatenate writingに音節文字と字母文字がある。〔a〕音節文字syllabaryには、まず、(i)開音節型。子音プラス母音にあたる字しかない。ときには、日本の仮名のように、子音に好みの母音を補って「ふく(服)」や「インキ/インク(ink)」とし、クレタ線文字Bのように、余った子音を見捨てて「パテ (patēr)、マテ (māter)」と表記するのもやむをえない。(ii)開閉型。古代小アジアのヒッタイト楔形文字やペルシア文字には、頭音字(開音節)と脚音字(閉音節)が備わり、それぞれの母音を重ね合わせることがあった。たとえば、ヒッタイトの民族名ハッティは「波圧地(a-aT-Ti)」と記した。音節文字をさらに転用すれば、片仮名のティー、ファイルのように、字母化が芽生える。(iii)子音型。ヘブライやアラビアの文字、フェニキアやアラムの文字のように、子音だけを示す。それらで書くセム諸語は、3子音語根を基本語形とする。子音の拾い書きになるが、文字列に母音を補って読める。たとえば、「KTB(キタブ)(書)」と記す。母音を示す便法は、加点diacritic marksである。この型を字母もどきquasi-alphabetという。(iv)母音符号型。子音字を幹とし、母音符号を上下左右に補う。その実質は、字母化しているといえよう。ただ、子音字をめぐって音節ごとに固まる形からみれば、音節文字である。梵字(ぼんじ)、デーバ・ナーガリ、タイ文字など、インド系諸文字の類である。〔b〕字母文字alphabet。子音字と母音字と同等に自立して、音列のままに並び、忠実な表記を実現する。(i)線状型は、字が音列のままに並ぶ典型的な類。ラテン字母(ローマ字)、モンゴル文字など。(ii)分節型は、音節ごとに固め、音節文字もどきともみえる。ハングル(朝鮮文字)がそれだが、きわめて合理的に設計された字母文字である。
表記は、音列相当の文字列。原初の渦巻式や行きつ戻りつのブーストロフェドン(牛耕)から始まり、やがて右や左の縦書きか横書きに落ち着く。つまり、行立てが決まり、分かち書き、字体の大小や頭・中・末の別、さらに符号、句読点も生まれた。文字は、その間に、具象から分析抽象(音韻論的恣意(しい))への段階を踏んだ。文字列内の字が音列のなんらかの単位に向かい合うのだが、語に対する単語文字から、ついで、音節に分けて音節文字、その音節をつくる単位音に応ずる字母文字(その1字がletter)へと進む。語を一括するか、つづって示すかの相異はあれ、語に対応する文字列としてみれば、形・音・義を兼ね備えている。熟字訓、仮名遣い、スペリングなど、単語文字、つづり文字のいずれも、語において表記が定まる。
[日下部文夫]
系統
物に託した象徴や、紋章や飾りなどの目印、結び目、刻み目などの覚え、のろし、腕木などの信号、それらが昔から目に訴えてきた。文字は、別に、絵から生まれた。絵の構成部分が文の展開の跡を追って、絵文字pictographyになる。中国の少数民族モソの文字などには、例がある。いちおう、語としての分割がされ、配列さえできても、まだ絵にならない抽象語や文法用語が抜け落ちる。文字はできあがらない。それに、所や人の名を記録する必要もあった。そこで、表音字が登場する。つまり、象形などの字形・字音・字義のうちから字義を捨てて、その字音を借用する法、すなわち「仮借(かしゃ)」が発見された。最古の文字資料として有名な、エジプトのナルメル王のパレットの場合は、「魚(ナル)」と「(道具の)のみ(メル)」の音を借りて王の名を示している。こうした表音法ができて、音列を落ちなく写す「文字」なるものが完成した。また、字音を捨てて、字義を借りる法、「転注」もできている。「楽(がく)」は、本来は鈴の象形だが、音楽の楽しさを借りて「楽(らく)」とし、エジプトでは、南国の草の象形で方角の「南」を表した。字形には、形をなぞる「象形」に「指事」「会意」が加わり、それらを借りた、音符に部首(義符)を添えた「形声(諧声)」によって多くが補われた。まとめて、改めて象形文字とされるが、表音機能が加わらなければ、単語文字の出発はなく、判じ絵rebusにとどまったのである。
文字の使用は、農耕都市国家の富が蓄積して、分業が進むのに伴い、各種の記帳をつかさどる神職の手元で芽生え、紀元前31世紀ごろ、メソポタミアのシュメール人が文字として仕立て上げた。やがて、粘土板に硬筆でほじり付けて、筆画が楔形になり、楔形文字といわれる。シュメールの「足(ドウ)」は、アッカド語に借用され、音読でドゥ(歩など)、仮名を送ってトゥム(携える)、グブ(立つ)、ギン(行く)を書き分け、トゥムの訓読がアバールゥ、グブの訓がナザーズゥ、ギンの訓がアラークゥ。さらに、ドゥの仮名ともなった。アッカド語の表記では、送り仮名も振り仮名もあった。シュメール文字こそ、系統的に現用の諸文字の源とみなされる。エジプトの聖刻文字では、細長いプールの輪郭が「池Š」だが、そのまま音符にもなった。「池Š」と「水MW」の組合せに暦の部首を添えて「夏ŠMW」という形声字にしている。これらは、漢字の造字法や日本における漢字の用法と似通っている。古代文字は、やがて、いくつかの発達段階を経た子孫を残して、使われなくなった。古代文字には、インドのモヘンジョ・ダーロやメキシコのマヤ、アステカのものもあるが、これらも死んでしまっている。ただ、漢字が、殷(いん)の甲骨文字から引き続いて、単語文字として生きているのは、中国語が無変化単音節を基本語形とする孤立語だからである。漢字音を借りた古代朝鮮の吏吐(りと)を手本として、日本で音節文字(仮名)が生まれている。楔形文字と聖刻文字は、オリエント諸国の交易錯綜(さくそう)のなかで融合して、字母文字もどき(セム文字)に変わった。その一種、アラム文字は、ヘブライ文字やアラビア文字の親となったが、さらに東へインド系文字となって、東南アジアまで及び、またソグドやウイグルを経て、モンゴルと満州(中国東北)の字母文字ともなった。朝鮮のハングル創出の示唆は、インド系のパスパ文字が与えたものと考えられる。西では、セム文字がフェニキアからギリシアに取り入れられて、字母文字、ΑΒΓ(αβγ)に変わった。前9世紀ごろのことである(ギリシア語は、すでに紀元前15世紀にエーゲ海で象形文字や音節文字を経験済みであった)。これが、エトルリアを経てローマ字(ラテン字母)を生み、ブルガリアから始まるキリル字母となって、ロシアに至り、エジプトに渡ってコプト文字となった。
[日下部文夫]
機能
ヒトは、言語とともに生きてきたすえに、ここほんの5、6000年前に、文字を手にした。そこで初めて言語単位を客体としてつかまえた。文字は、いまも人類社会にしみわたりつつあり、変容しつつあり、意識的に操作される新しい文化財として文明を開きつつある。ことばが対人関係の現場から放たれて、記録をもつことになった。主観が客観に移され、歴史時代の扉があき、文明への幕が開かれた。(1)語意識の定着も、音韻単位の抽出も文字表記が呼び覚ました。同時に、識字対非識字および固有文化対文明化の課題が芽生えた。(2)文字以前は情感共有の韻文時代、それ以後に情報集積の散文時代に入った。かつて文化に結晶して生活の場によみがえっていた伝承は、記録となって時代を刻み、個別の事例を跡づける資料となって、文明を築く手段となった。文字は、まず記帳や契約や記念の用具であり、神殿や行事の管理者、暦や倉庫の番人として、書記が生まれるのにつれて育った。神話や英雄譚(たん)は、それまでは歌い継がれて人々の間で理想化していった。しかし、文字記録は、ときには書き手自身に迫るほどの遡及(そきゅう)性があり、個別の時や所や人を記しとどめて跡づけることになった。(3)文字には、記録とともに伝達の働きがあり、ことばを限りない空間と時間に広げ、死んだ言語にも再生の機会を与えた。(4)文字表記は、また、その原本の保存に加え、早くから複製技術を発達させた。個々の筆写から筆耕生の組織、そして、印刷術から今日のコンピュータ・メモリーに至る。いずれにせよ、作者の名もとどめながら、文書・書籍は、独自の社会性を獲得して、読者においてよみがえる。読みは無声化し、やがて内面化する。(5)文献は、統制をもたらし、広い地域をまとめ、時を隔てて、一つの政治・経済のもとに運営する中央集権をたやすくする。漢字は官僚組織を固め、ギリシア文字やローマ字も古代帝国を内から支えた。(6)地縁・血縁に強く結び付いていた民俗信仰が世界宗教に置き換わるときにも、それを推進する用具となった。仏教における梵字や漢字、原始キリスト教とギリシア文字、ローマ正教とラテン字母、ギリシア正教とキリル文字、エジプトのコプト教とコプト文字、イスラム教とアラビア文字。それぞれに強く結び付いている。(7)共同体の習俗・伝承が、文字を媒体として、教育者の指導を仰ぐ学習に譲るようになった。宮廷をめぐる史官や僧による読み書き・算盤(そろばん)の教育から写字生養成に及び、やがて、寺子屋を経て、近代の学校制度につながった。(8)言語は民族文化の基盤である。そのうえに方言の別さえあって、地域性が強い。文字は、文明流布の用具として諸言語の表記に奉仕する国際性をもつ。いくつかの言語の間でもまれながら文字体系は進化を促され、字母文字として結晶する。そこで、語形分析の道が開かれ、言語ごとの独自性に沿う表記が可能になった。いずれの言語、いずこの方言にもそれにふさわしい表記が許されて、民族語の自立が一定の文字表で保証される。(9)聴覚に障害のある人に文字はそのまま有効であり、視覚の障害には、字母で設計された点字が用意されている。書記言語は、健常者と障害者とを結び付ける媒体となって、社会を支えている。
文字は、かならず公共性をもち、天文、気象、地誌、統計を扱い、戸籍、履歴、辞令、病歴、業績、諸契約から著作、特許に及ぶ登録によって個人を社会的に確認させる。そこには、人権の尊重と抑圧との両面の働きがみられるが、近代的自我は読み書きの普遍化によってしか確立しない。文字にとって、個我の客体化と、時間・空間の超克、多文化包括および語形への消え去らない遡及性こそ本質的な機能といえよう。
[日下部文夫]
運用
文明が広がると、文字を指標に勢力圏ができる。現在、漢文明圏のほか、ギリシア・ラテン圏、アラブ圏、インド圏がある。1980年の識字人口で推測すると、ギリシア・ラテン圏15億2469万、漢字圏11億4387万、インド圏3億2200万、アラブ圏8079万で、別に、日本の仮名が1億を超え、隣国のハングルが5000万、さらにヘブライ文字、アルメニア文字、ジョージア(グルジア)文字、南セムのエチオピア文字のように、1民族または1国に固有の文字の使用がある。それらのなかで仮名には、漢字との混用に特徴があり、ハングルは同じ混用から抜け出そうとしている。
アラビア文字はイスラム教とともに、ラテン字母は西ヨーロッパ文明とともにある。かつてアラビア文字を借用したトルコ語が、現在、トルコ共和国ではラテン字母、アゼルバイジャン共和国ではキリル字母と、分裂した表記になっている。モンゴル語も、モンゴル国ではキリル字母、中国の内モンゴル自治区では旧来のモンゴル文字と分かれている。勢力圏の対立は文字にあらわである。かつてインド系やアラビアの文字を使ったマレーシアやインドネシア、漢字圏に属していたベトナムも、いまは、ラテン圏に入っている。北朝鮮が漢字混用からハングル専用になり、韓国(大韓民国)も漸進的にハングル専用に移ろうとしている。中国では、固有の文字のない少数民族語も含めて、ラテン字母表記(ピンイン)が活用され、台湾の注音符号と見合っている。フィリピン諸語のラテン字母表記は、以前からだが、いまやミクロネシア諸島をはじめ、オセアニアのラテン字母表記も定着した。国際的には、万国郵便条約や万国信号書や国際標準化機構の諸国語翻字法など、つねにラテン字母を用具としている。理工科方面で、アラビア数字とともに、記号として標準化しているのも、ラテン字母とそれに交じるギリシア字母である。すでにこれらは人類の共有財産となり、現代を支えている。
なお、日本では文学的伝統や社会的実務などの基本を仮名が下支えしている。
[日下部文夫]
将来
言語langueに対応するのは、表記notationであって、文字ではない。言語の形式的要素が音韻phonemeであり、表記のそれが字形graphemeとしてある字ということになる。字形の組織体系が文字なのである。しかし、文字とその読み書きが、言語ほどには人類普遍のものとなっていない。読み書き能力の差異が多く残されている。正書法の定まっていない民族語もあり、既成の文明圏に物と心の両面から踏みつけられている。文明が、各種の書付や文書など「お達し」の形や教育・養成の組織となって押し寄せる。分節音を使ってことばをやりとりする時代を超え、やがて、だれもが等し並みに読み書きのすべを備えて、世界が一体化する文字文明時代が成ろうとしている。国際連盟で知的協力委員会が始め、第二次世界大戦後にユネスコが引き継いだ識字運動がある。ベトナムのラテン化表記がコックグー(国語)とよばれ、日本でも中国でも、20世紀に入るにあたり、「国語」という呼称が普及し、言語政策が国字問題として論じられてきた。文字の統合・普遍化の潮が東アジアの岸辺を洗っている。今日、日本語は、古代メソポタミアに似た複雑な表記状況にあり、その正書法のなかには、音訓混用の漢字と両種の仮名に加えて、NHKやUターンなどのABCのほかに、算用数字の乱用さえ加え、ときには、仮名専用やローマ字表記をもしなければならない。コンピュータ時代を迎え、アルファベット・キーボードで、ローマ字か仮名を打ち連ねて、漢字仮名交じりを変換処理している。わが国では、昭和初年と戦後の二度にわたる海外からの要請を機会に、ローマ字の制式(訓令式)を定めてある。ところが字母表記はいまだに異物視され、一般に英語準拠の転写法以上にはみられず、英語流(ヘボン式)にこだわって、自立の道を見失い、むしろ国際社会を困惑させている。ちかぢか、この無自覚からの脱却を迫られよう。
21世紀には、文字が民族や宗教からの象徴性または呪術(じゅじゅつ)性を洗い流して、人類的共同と文化的個性の発揚をともに保証し、それによって全地球との連繋(れんけい)が達せられる。文字はヒトの発達の問題であって、事例と個性の客体化にかかわり、表記は民族語自立の課題であって、文化の開発にかかわる。
[日下部文夫]
『「文字論」(『河野六郎著作集3』所収・1980・平凡社)』▽『山田俊雄・柴田武・樺島忠夫・野村雅昭著『シンポジウム日本語4 日本語の文字』(1975・学生社)』▽『西田龍雄編『講座言語5 世界の文字』(1981・大修館書店)』▽『A・ガウアー著、矢島文夫訳『図解文字の歴史』(1987・原書房)』▽『白川静著『漢字の世界――中国文化の原点』上下(平凡社・東洋文庫)』▽『E・キエラ著、板倉勝正訳『粘土に書かれた歴史――メソポタミア文明の話』(1958・岩波書店)』▽『クジミシチェフ著、深見弾訳『マヤ文字の秘密』(1978・大陸書房)』▽『F・クルマス著、山下公子訳『言語と国家――言語計画ならびに言語政策の研究』(1987・岩波書店)』▽『樺島忠夫著『日本の文字』(岩波新書)』▽『石黒修著『日本人の国語生活』(1951・東京大学出版会)』▽『樺島忠夫著『日本語はどう変わるか――語彙と文字』(岩波新書)』▽『小泉保著『日本語の正書法』(1978・大修館書店)』▽『日下部文夫著「東京語の音節構成」(柴田武編『日本の言語学2 音韻』所収・1979・大修館書店)』▽『周有光著、橘田広国訳『漢字改革概論』(1985・日本のローマ字社)』