史通(読み)シツウ

デジタル大辞泉 「史通」の意味・読み・例文・類語

しつう【史通】

中国代の史論書。20巻。劉知幾りゅうちき著。710年成立。内編・外編に分かれ、内編では史書体裁を、外編では史書の起源古人の史書の得失を論じている。

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精選版 日本国語大辞典 「史通」の意味・読み・例文・類語

しつう【史通】

中国の史論書。二〇巻。劉知幾(りゅうちき)撰。唐代の景龍四年(七一〇)成立。内篇、外篇に分かれ、唐初までの歴代史書・史学に対する評論の書。史書の形式・表現などを整理論評し、史実正確、表現の簡潔、形式の厳密を主張して史書の理想を述べ、後世史家の規準とされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「史通」の意味・わかりやすい解説

史通
しつう

中国、唐代の歴史書。著者は劉知幾(りゅうちき)。景竜4年(710)の自序がある。20巻、内篇(ないへん)36篇、外篇13篇。駢驪(べんれい)体でつづられ、歯切れのよい四六文(しろくぶん)、論理は明快である。中国古来の史書の構成、叙述を縦横に評論し、周公、孔子(こうし)、司馬遷(しばせん)、班固(はんこ)らも容赦なく批判し、侮聖の書として非難された。古今正史篇には初めて中国史学史を展開し、疑古篇には堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)の禅譲簒奪(さんだつ)であったと断じている。そのためあまり読まれず伝承を絶っていたが、明(みん)の嘉靖(かせい)(1522~66)、万暦(ばんれき)(1573~1619)の間に宋板(そうはん)本が発見され、翻刻されて陸深本、張之象本、張鼎思(ちょうていし)本などができ、注釈には郭孔延(かくこうえん)の評釈、王惟倹(おういけん)の訓故、黄叔琳(こうしゅくりん)の訓故補、浦起竜の通釈などがあり、清(しん)代には紀昀の『史通削繁』が通行した。

[増井経夫]

『増井経夫訳『史通』(1981・研文出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「史通」の意味・わかりやすい解説

史通 (しつう)
Shǐ tōng

中国,唐代の歴史家,劉知幾(りゆうちき)(661-721)の著作。中国における最初の総合的な批判的史論として高く評価される。全体は内篇10巻36編(うち3編散佚),外篇10巻13編からなり,内篇では,古代から唐代までの史書に対し体裁,内容にわたってあらゆる角度から批判を加え,あるべき史書の姿を追求している。外篇にはおもに史官,史書の歴史および雑評があり,内篇の自説を補う形をとっているが,逸書の多い隋・唐以前の史学史を知るうえでも,貴重な資料を提供している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「史通」の意味・わかりやすい解説

史通
しつう
Shi-tong; Shih-t`ung

中国の史論,史評の古典。唐の史官劉知幾 (字は子玄) 撰。景竜4 (710) 年完成。全 20巻,内外編計 49編から成る。生涯を通じ官撰史書の編纂に従事した著者は,当代の修史機構や監督官のあり方に鋭い批判を加え,真の歴史書を模索した。内編ではおもに紀伝体,編年体といった史書の体例を考察し,外編で古来の史籍の沿革とその得失を批評する。注釈に清の浦起竜『史通通釈』などがあり,増井経夫の邦訳もある。

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百科事典マイペディア 「史通」の意味・わかりやすい解説

史通【しつう】

中国の歴史論書。20巻。唐の劉知幾の著。710年ごろ成立。古来の史書の体裁,編集・著述の方法,史官の沿革,史書の内容などを論じ,批評を加えたもので,中国における最初の総合的な批判的史論として高く評価される。

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旺文社世界史事典 三訂版 「史通」の解説

史通
しつう

唐の劉知幾 (りゆうちき) が著した中国最初の史論書
古代から唐代に至る正史その他の評論,および史料の採集整理,史書編述の意義・方法などを叙述。事実探求の立場から歴史叙述の理論を述べた中国史学史上最初の名著といわれる。

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