原田直政(読み)はらだなおまさ

改訂新版 世界大百科事典 「原田直政」の意味・わかりやすい解説

原田直政 (はらだなおまさ)
生没年:?-1576(天正4)

戦国時代武将。初め塙(はのう)九郎左衛門尉と称した。織田信長部将。元亀年間(1570-73)京都の施政に当たり,73年には村井貞勝とともに使者として将軍足利義昭諫言のことにあたった。75年原田姓を与えられ,備中守に任じ,越前征伐に従軍,翌年大坂石山の本願寺を攻めたが5月三津(みつ)寺の戦で戦死した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原田直政」の解説

原田直政 はらだ-なおまさ

?-1576 戦国-織豊時代の武将。
織田信長につかえる。天正(てんしょう)2年山城守護となり,3年大和守護をかね,原田姓をあたえられた。4年大坂石山本願寺攻めに明智光秀らとくわわったが,5月3日摂津三津寺(みつでら)(大阪府)で戦死した。本姓は塙(ばん)。初名は重友。通称は九郎左衛門。別名長俊

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「原田直政」の意味・わかりやすい解説

原田直政
はらだなおまさ

[生]?
[没]天正4(1576).5.4. 摂津
安土桃山時代の武将。通称,九郎左衛門。初名塙重友。織田信長に仕え,帰趨のはっきりしない筒井順慶らの大和の国衆の鎮撫,組織化に力を尽した。天正3 (1575) 年原田姓に改め,石山本願寺攻めで戦死。

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世界大百科事典(旧版)内の原田直政の言及

【明治・大正時代美術】より

…また結城素明(1875‐1957),平福百穂,島崎柳塢(りゆうう)(1856‐1938)らは東京で无声会(むせいかい)を結成し(1900),西洋画の写生を研究して自然主義的な新しい日本画をもたらすことになる。
[明治美術会と白馬会]
 明治10年代の後半,洋画家たちは一時息をひそめたが,この間にヨーロッパに渡った山本芳翠(フランス),原田直次郎(ドイツ),松岡寿(イタリア)らが帰国し,洋画界の新しい活動力となる。彼らは1889年浅井忠,小山正太郎,本多錦吉郎(きんきちろう)(1850‐1921。…

※「原田直政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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