博文館(読み)はくぶんかん

百科事典マイペディア 「博文館」の意味・わかりやすい解説

博文館【はくぶんかん】

大橋佐平が1887年に創立した出版社。当時の諸家の論文を集めた《日本大家論集》で基礎を固め,《太陽》《少年世界》《中学世界》《女学世界》《文芸倶楽部》等の雑誌を刊行。雑誌王国となる。1906年創刊の《文章世界》は文芸投稿雑誌として大きな役割を果たした。書籍出版の分野でも《日本文学全書》全24冊,《帝国百科全書》全200巻を出した。また日記帳《博文館日記》は有名で今も残る。明治後半期には日本を代表する総合出版社だったが,大正期に退潮,第2次大戦後博文館新社と傍系の博友社が残る。
→関連項目巌谷小波押川春浪共同印刷[株]斎藤緑雨実業之日本週刊誌帝国文庫松原二十三階堂山手樹一郎横溝正史

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改訂新版 世界大百科事典 「博文館」の意味・わかりやすい解説

博文館 (はくぶんかん)

1887年,大橋佐平が東京本郷で創業した出版社。創業にあたり,集録雑誌《日本大家論集》を創刊し,驚異的成功を収めた。ついで各種の雑誌を創刊し,雑誌出版を事業の柱の一つとした。なかでも高山樗牛を主幹とする総合雑誌《太陽》(1895創刊),巌谷小波編集の《少年世界》(1898創刊),硯友社と結んだ《文芸俱楽部》(1895創刊),田山花袋編集の《文章世界》(1906創刊)などが著名である。一方,全書・双書類を中心とする書籍出版にも進出,《実地応用・技芸百科全書》全61巻(1889-93)をはじめとして,《日本文学全書》全24冊(1890-91),《帝国文庫》正続100巻(1893-1902)などを連続的に出版したが,とくに博文館の声価を高めたのは《帝国百科全書》全200巻(1898-1909)で,10年の歳月をかけた大出版であった。93年には教科書の分野にも進出,落合直文《中等教育国文軌範》ほか8点を発行している。また〈博文館日記〉の名で知られる〈懐中日記〉(1895),〈当用日記〉(1896)などの日記帳類は,年々版を重ね同社のドル箱となった。廉価,薄利多売をモットーに出版の大衆化をはかり,総合出版社としての地歩を確立した博文館は,一方では博文館印刷所共同印刷の前身)をはじめ書店,洋紙店,通信社など多くの関連事業を興し,明治後半期には文字どおり日本の代表的出版社となった。しかし大正時代を迎えるとともに新しい時代への適応を欠き,しだいに退潮をたどり,1928年には代表的雑誌《太陽》も廃刊となった。以後の試みも成功をみるにいたらず,47年ついに出版事業を断念し,わずかに〈博文館日記〉を発行する博文館新社と傍系の博友社が残された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「博文館」の意味・わかりやすい解説

博文館
はくぶんかん

1887年(明治20)大橋佐平(1835―1901)が創業した出版社。ベストセラーとなった創刊雑誌『日本大家論集』をはじめ、高山樗牛(ちょぎゅう)の編集による総合雑誌『太陽』や、尾崎紅葉、川上眉山(びざん)、大橋乙羽(おとわ)、広津柳浪(りゅうろう)ら硯友社(けんゆうしゃ)一派をおもな寄稿家とした『文芸倶楽部(くらぶ)』、童話作家巌谷小波(いわやさざなみ)の編集による『少年世界』など、明治期だけで60余種の雑誌を創刊。それまでの政論新聞や啓蒙(けいもう)的な雑誌に対して、大衆的な商業雑誌として読者の拡大と大量販売に成功した。叢書(そうしょ)の出版は、「帝国文庫」「帝国百科全書」「教育全書」「工業全書」「農業全書」など、今日の全集シリーズ本の原型といえるあらゆる種類の逐次刊行物を次々と発行した。単行本は、政治、法律、経済、理工学、医学、語学、文学などの分野にわたり、学術書、啓蒙書、実用書などの形式で、1947年(昭和22)の廃業までに約3000点を発行、近代出版界において博文館時代を築いた。2代目館主大橋新太郎は、印刷(博文館印刷所。現共同印刷株式会社)をはじめ洋紙店、取次販売業、広告代理店の諸部門を掌握し、出版企業の合理化に成功したが、1902年(明治35)に衆議院議員に当選する一方、東京瓦斯(ガス)をはじめ20余の会社法人の代表を務めるなど政財界への進出と、大正から昭和の初頭にかけて他新興出版社の台頭もあって、一世を風靡(ふうび)した出版王国もしだいに退潮していった。現在は『博文館日記』などを発行している博文館新社と、農業関係書などを発行している傍系の博友社が残っている。

[大久保久雄]

『坪谷善四郎編『博文館五十年史』(1937・博文館)』『坪谷善四郎編『大橋佐平翁伝』復刻版(1974・栗田出版会)』『坪谷善四郎著『大橋新太郎伝』(1985・博文館新社)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「博文館」の解説

博文館
はくぶんかん

1887年(明治20)に大橋佐平(さへい)が東京本郷に創立した出版社。諸雑誌に掲載された論文を集めた雑誌「日本大家論集」が最初の出版で大ヒットしたが,著作権上の問題もひきおこした。その後「日本之女学」「日本之商人」などのシリーズ,写真満載の「日清戦争実記」,総合雑誌「太陽」(1895創刊),「文芸倶楽部」「文章世界」などの雑誌をつぎつぎに創刊。廉価本双書の「帝国文庫」(正続100冊),グラフィックな週刊新聞「太平洋」も発行。博文館印刷所,取次業東京堂,用紙店博進社をもつ。最盛期は明治末~大正初期で以後は衰退した。現在は博文館新社に引き継がれている。

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世界大百科事典(旧版)内の博文館の言及

【大橋佐平】より

博文館の創業者。越後国長岡生れ。…

【少年世界】より

…1895年1月創刊,1933年10月終刊。博文館発行。日清戦争後の時運に乗り,それまで博文館が出していた数種類の雑誌,叢書などを統合して創刊された月2回刊の雑誌。…

【太陽】より

博文館発行の月刊誌。1895年1月創刊。…

※「博文館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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