巌谷小波(読み)イワヤサザナミ

デジタル大辞泉 「巌谷小波」の意味・読み・例文・類語

いわや‐さざなみ〔いはや‐〕【巌谷小波】

[1870~1933]児童文学者・俳人。東京の生まれ。本名季雄すえお。別号、漣山人さざなみさんじん尾崎紅葉らと硯友社けんゆうしゃを結成。のち創作童話を発表。また、おとぎ話の口演にも力を注いだ。童話「こがね丸」、童話集日本昔噺」「世界お伽噺」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「巌谷小波」の意味・わかりやすい解説

巌谷小波
いわやさざなみ
(1870―1933)

小説家、童話作家、口演(こうえん)童話家。本名は季雄(すえお)。漣山人(さざなみさんじん)とも号し、別名に大江小波(おおえのさざなみ)がある。明治3年6月6日、高級官吏で書家としても知られた巌谷一六(いちろく)の子として東京に生まれる。家業の医師を継ぐべく育てられたが、10代より文学に興味をもち、故意に大学予備門の入試に落ちて杉浦重剛(しげたけ)の称好塾に入り、尾崎紅葉らと硯友社(けんゆうしゃ)を結んで小説を書き始めた。『五月鯉(さつきごい)』『妹背貝(いもせがい)』などの小説を発表したが、1891年(明治24)に博文館『少年文学叢書(そうしょ)』の第一編として出版した子供向きのおとぎ話『こがね丸』が圧倒的な好評を得、これを契機に児童文学の開拓者として登場した。その作品の多くは自身の編集した雑誌『少年世界』に載せたもので、思想的には日本の軍国主義的な行き方を肯定し、文学的には江戸戯作(げさく)の残滓(ざんし)をぬぐいきっておらず、真に近代的な児童文学とみることはできない。世の要求に応じて『日本昔噺(むかしばなし)』(全24冊)、『世界お伽噺(とぎばなし)』(全100冊)など伝承文学の再話もしており、明治30年代の後半からは自作のおとぎ話の口演にも力を注ぎ、その門下から久留島武彦(くるしまたけひこ)、岸辺福雄などの口演童話家を出してもいる。その作品量は膨大で、『小波お伽全集』(全16巻)に収められているが、ほかに『桃太郎主義の教育』(1915)などエッセイ類も多い。自伝『我が五十年』(1920)がある。昭和8年9月5日没。

上笙一郎

『『日本児童文学大系1 巌谷小波集』(1977・ほるぷ出版)』『厳谷大四著『波の跫音――小波伝』(1974・新潮社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「巌谷小波」の意味・わかりやすい解説

巌谷小波 (いわやさざなみ)
生没年:1870-1933(明治3-昭和8)

明治・大正期の作家,児童文学者。本名季雄,初期別号漣山人(さざなみさんじん)。東京生れ。父の一六は貴族院議員で書家として著名。裕福な家庭に育ったが,医者への道を歩ませられることをきらい,周囲の反対の中で文学を志して進学を放棄し,1887年文学結社の硯友社(けんゆうしや)に入る。尾崎紅葉らと交わって小説を発表したが,少年少女のセンチメンタルな恋愛を描く作品が多く,この傾向は,児童文学に転ずることによって成功する。その処女作《こがね丸》(1891)は,《少年文学》叢書第1編として近代日本児童文学史をひらく画期的作品となり,以後博文館と組んで,種々の児童向けの雑誌や叢書を刊行した。《日本昔噺》(1894-96),《日本お伽噺》(1897-98)で,桃太郎や花咲爺などの民話や英雄譚を再話復活して集成普及し,さらに《世界お伽噺》(1899-1907)などに拡大した。また童話口演の全国行脚によっても親しまれた近代児童文学の生みの親である。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「巌谷小波」の意味・わかりやすい解説

巌谷小波【いわやさざなみ】

明治大正期の小説家,児童文学者,俳人。本名季雄。別号,漣山人など。東京生れ。硯友(けんゆう)社同人となり小説を書いたが,1891年博文館の少年文学叢書第1編《こがね丸》によって児童文学に新生面を開き,《少年世界》《少女世界》《幼年画報》《幼年世界》を主宰して健筆を振るった。また《日本昔噺》《日本お伽(とぎ)噺》《世界お伽噺》等をまとめた。全著作からその精髄を集めた《小波お伽全集》がある。
→関連項目巌谷大四押川春浪児童劇文芸倶楽部

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「巌谷小波」の意味・わかりやすい解説

巌谷小波
いわやさざなみ

[生]明治3(1870).6.6. 東京
[没]1933.9.5. 東京
児童文学者,小説家,俳人。本名,季雄 (すえお) 。 1887年,尾崎紅葉らの硯友社に参加,「文壇の少年屋」といわれるほど少年少女の純愛をテーマにした小説を多く書いたが,『こがね丸』 (1891) 以後は児童文学に専心。 95年創刊の『少年世界』の主筆として毎号作品を発表,「お伽噺 (とぎばなし) 」の新分野を開拓するとともに後進の指導にもあたり,明治の児童文学界に君臨した。『日本昔噺』 (94~96) ,『日本お伽噺』 (96~98) ,『世界お伽噺』 (99~1908) ,『世界お伽文庫』 (10) ,『小波お伽百話』 (10) などの編著がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「巌谷小波」の解説

巌谷小波 いわや-さざなみ

1870-1933 明治-昭和時代前期の児童文学作家,小説家。
明治3年6月6日生まれ。巌谷一六の3男。硯友(けんゆう)社にはいり,小説「妹背貝(いもせがい)」などをかく。明治24年おとぎ話「こがね丸」が好評を得,以後童話に専念。「少年世界」編集長をつとめ,「日本昔噺(ばなし)」「世界お伽噺」などをまとめる。口演童話もはじめた。昭和8年9月5日死去。64歳。東京出身。本名は季雄(すえお)。筆名は別に大江小波。
【格言など】深く感謝して天国へ行く,云いたい事山々なれど只此上は仲よくあとをにぎわしてくれ,何事もあなたまかせの秋の風(遺書)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「巌谷小波」の解説

巌谷小波
いわやさざなみ

1870.6.6~1933.9.5

明治・大正期の児童文学者・小説家・俳人。東京都出身。本名季雄(すえお)。漣山人(さざなみさんじん)とも号す。父は書家の一六。幼時から文学に親しみ,ドイツ語も学ぶ。1887年(明治20)硯友社に参加して小説を発表。同年杉浦重剛(じゅうごう)の称好塾に入り大町桂月・江見水蔭(すいいん)を知る。91年「こがね丸」を発表し,以後児童文学に力を注ぐ。後年は早稲田大学講師,文部省の各種委員などを歴任。「日本昔噺」「世界お伽噺」など童話の編纂も多い。

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旺文社日本史事典 三訂版 「巌谷小波」の解説

巌谷小波
いわやさざなみ

1870〜1933
明治〜昭和期の童話作家
本名は季雄 (すえお) 。東京の生まれ。硯友社同人として出発。1891年『こがね丸』発表後は童話作家として名声を高め,世界の童話の紹介にも務めた。

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世界大百科事典(旧版)内の巌谷小波の言及

【絵本】より

…これが俗に〈ちりめん本〉と呼ばれるものである。〈お伽のおじさん〉と呼ばれた巌谷小波(いわやさざなみ)は,長谷川本を受け継いで《日本昔噺シリーズ》(1894)を出したほか,《お伽画帖》(1908),さらに洋装本35冊の《日本一ノ画噺》(1911‐15)に発展させた。後者は杉浦非水らのデザインが美しい。…

【演劇教育】より

…日本では,明治期を迎えキリスト教の布教が許されるようになると,教団によるミッション・スクールが設けられたが,そこで行われたキリストの降誕劇や,教会の日曜学校におけるクリスマス劇などが,演劇教育の先鞭をつけたとされる。また,日本の近代的な児童文化・児童文学の創始者といわれる巌谷小波はドイツでの見聞をもとに,1903年ころから〈学校芝居〉を提唱し,そのための脚本を発表した。さらに,大正期の新教育運動の中で,あるいはその影響のもとに,私立成城学園の学校劇運動や,坪内逍遥による児童劇運動などが始められ,演劇教育は一定の普及をみた。…

【児童雑誌】より

…教育制度の普及,印刷技術の発達,資本主義の成長などの条件がととのうと,商業児童雑誌が刊行されるようになった。なかでも博文館の《少年世界》(1895)は,当時《こがね丸》を書いて爆発的な人気を得た巌谷(いわや)小波を主筆に,押川春浪ほか門下の新進作家が作品を書き,内容の新鮮さ,おもしろさという点で,他誌を大きくひきはなし,きわだった存在となった。同社の営利主義と主筆の知名度に依存するスター・システムによる雑誌づくりはその後も続き,最初の性別雑誌《少年界》《少女界》(ともに1902),年代別雑誌《幼年世界》(1900),《少女世界》が生まれた。…

【児童文学】より

…その内容は,室町時代に成立した御伽(おとぎ)草子を中心に,古浄瑠璃(こじようるり),謡曲などに取材したものが多く,その源流は古代,中世にかけて成立した説話集,軍記物語,あるいは伝説,昔話であった。これらは明治時代に巌谷小波(いわやさざなみ)によって国民童話としてまとめられ,多くは今日もなお生きつづけている。日本の近代的児童文学の道もまた,巌谷小波の《こがね丸》(1891)でひらかれた。…

【少年世界】より

…日清戦争後の時運に乗り,それまで博文館が出していた数種類の雑誌,叢書などを統合して創刊された月2回刊の雑誌。当時,硯友社の新鋭として注目され,少年文学の創始といわれる《こがね丸》を書いていた巌谷小波が主筆に迎えられた。小波は,つづいて創刊された《幼年世界》(1900創刊),《幼年画報》(1906創刊),《少女世界》(1906創刊)の主筆を兼ね,これらの雑誌を舞台に,児童雑誌の編集者として,またお伽噺作家として活躍をするが,中心は《少年世界》においていたようである。…

※「巌谷小波」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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