南淵年名(読み)みなぶちのとしな

朝日日本歴史人物事典 「南淵年名」の解説

南淵年名

没年:元慶1.4.8(877.5.24)
生年大同2(807)
平安初期の公卿。因幡守永河の子。弘仁14(823)年,坂田の姓を南淵に改めている。筑前,尾張などの国守や左右大弁などを歴任し,貞観10(868)年中納言に任じられた。『貞観格』『貞観式』など法制の整備や『文徳実録』の編纂に従事するとともに,応天門の変(866)に際しては伴善男を尋問するなど,実務面での活躍も目立つ。聡明で器量人であったといい,職務には常に清幹をもって対処したというのが『三代実録』での人物評。同18年12月大納言となったが病に倒れ,4カ月後,子の良臣を使者として致仕を願い出,当日没した。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南淵年名」の解説

南淵年名 みなぶちの-としな

807-877 平安時代前期の公卿(くぎょう),漢学者
大同(だいどう)2年生まれ。南淵永河(ながかわ)の子。勘解由(かげゆ)長官,左右大弁などをへて貞観(じょうがん)6年参議,のち大納言,正三位にいたる。「貞観格式」の制定,「文徳実録」の編修にくわわった。死去の直前わが国初の尚歯会(しょうしかい)(賀寿の詩会)をもよおしている。貞観19年4月8日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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