南河原石塔婆(読み)みなみかわらいしとうば

国指定史跡ガイド 「南河原石塔婆」の解説

みなみかわらいしとうば【南河原石塔婆】


埼玉県行田(ぎょうだ)市南河原にある石塔婆。県の東北部、群馬県との境に位置する、高野山(こうやさん)真言宗観福寺境内に所在する2基の大型板碑。鎌倉時代中期の代表的な板碑として知られ、1928年(昭和3)に国の史跡に指定。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、この板碑はかつて南河原村の北の畑中にあったものが、後年、観福寺に移されたと記されている。1261年(文応2)銘の板碑は、上半部に阿弥陀如来を表すキリークという種子(しゅじ)(仏を表す梵字)と蓮華座が大きく深く薬研(やげん)彫りされ、下半部には阿弥陀三尊の図像が線刻され、最下部には紀年銘を中心に12人ほどの人名が刻まれている。1265年(文永2)銘の板碑は、中央部に脇侍をともなった地蔵菩薩の図像が岩座の上に線刻され、下部には紀年銘を中心に阿弥陀号などをもつ二十数人の名が刻まれている。JR高崎線熊谷駅から国際十王バス「河原神社」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報