南丹(読み)ナンタン

デジタル大辞泉 「南丹」の意味・読み・例文・類語

なんたん【南丹】

京都府中部、大堰おおい上流域を占める市。水菜壬生みぶなど京野菜生産が盛ん。大学の郊外キャンパスや専門学校が多い。平成18年(2006)1月美山町園部町八木町日吉町が合併して成立。人口3.5万(2010)。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「南丹」の意味・わかりやすい解説

南丹[市] (なんたん)

京都府中部に立地する市。2006年1月園部(そのべ),日吉(ひよし),美山(みやま),八木(やぎ)の4町が合体して成立した。人口3万5214(2010)。

南丹市南西部の旧町。旧船井郡所属。人口1万7061(2005)。亀岡盆地北西部,大堰(おおい)川と支流の園部川流域を占め,町域の多くは標高400~500mの山地にある。園部川に臨む中心市街は1619年(元和5)に入封した園部藩小出氏2万9700石の城下町で,また京街道の宿場町でもあり,中丹波一円の政治・経済の中心地として栄えた。養豚,養鶏などの畜産が盛んで,タバコの栽培も古くから行われている。JR山陰本線,国道9号線など交通の便に恵まれるため,近年住宅や工場の進出が著しい。瑠璃(るり)渓などの名勝や九品寺,普済寺,春日神社,大山祇(おおやまつみ)神社などの古社寺がある。

南丹市中部の旧町。旧船井郡所属。人口5951(2005)。丹波高地の中央部に位置し,胡麻(ごま)高原は淀川水系と由良川水系の分水界をなす。標高500m前後の秩父古生層の山地が町域の大部分を占め,耕地山間に散在する。主産業は農林業で,米作や野菜・花卉栽培が行われる。林業は衰退傾向にある。西部をJR山陰本線が通る。なお,殿田には丹波猿楽の梅若屋敷跡がある。

南丹市北部の旧町。旧北桑田郡所属。人口4855(2005)。由良川上流部の山間にあり,三国岳(959m),頭巾山(871m),長老ヶ岳(917m)などの山々に囲まれ,これらに源を発する川が,町域中央部を西流する由良川に合流する。北は福井県,東は滋賀県に接する。農林業が中心であるが耕地面積は乏しく,シイタケ,樹苗,栗や野菜の栽培が行われる。由良川上流域は,允恭天皇の皇子木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)が開いたという伝承があり,宮脇の道祖神社は皇子をまつる。また菅原道真の弟という慶能法師が隠棲したとの伝えもあり,大野には慶能塚(けいのうづか)がある。川合の諏訪神社で行われる15年ごとの大祭には,風流(ふりゆう)踊の流れをくむ振踊などが奉納される。樫原の石田家住宅,下平屋の小林家住宅は重要文化財。真宗大谷派西乗寺には平安時代の作とされる木造阿弥陀如来および両脇侍座像(重要文化財)がある。西部の大野には多目的ダムの大野ダムがある。町域を南北に国道162号線が通じる。

南丹市南東部の旧町。旧船井郡所属。人口8869(2005)。亀岡盆地北西部に位置し,西を大堰川が南流,北東部は山地で占められる。屋賀(やが)には国府,国府垣内などの地名があり,古代丹波国府の所在地とされる。また氷所(ひどころ)は《延喜式》にもみえる,主水司に属する氷室の設定された地。室町時代には南西部の城山山頂に丹波守護代内藤氏の八木城があった。山陰道を眼下にした口丹波随一の要害で,戦国末期の城主内藤如安はキリシタンとして著名。農林業が中心で,米作,野菜・果樹栽培や酪農が行われるが,丹波マツタケとして珍重されるマツタケや栗も産する。京都市,亀岡市と接し,国道9号線とJR山陰本線が通じ,住宅地化が進んでいる。諸畑(もろはた)の曹洞宗清源寺には,同寺に滞在した木喰五行明満の彫った十六羅漢像がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android