大学(読み)だいがく(英語表記)university

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大学」の意味・わかりやすい解説

大学
だいがく
university

高度な専門的学術の研究および教授を主たる機能とする高等教育機関。さまざまな学問分野で学位を授与する権限をもつ。
近代の大学は中世の教会や修道院の付属学校を起源とする。大学の先駆をなすものは,9世紀にイタリアのサレルノに設立された医学校 (→サレルノ医学校 ) で,ヨーロッパ全土から学生が集った。世界最古の本格的な大学は 11世紀に設立されたボローニャ大学で,法学で知られた。 1150~70年には神学で有名なパリ大学が設立され,オックスフォード大学をはじめ 12世紀に発足した大学のモデルになった。当時の大学は学生と教授の組合組織で,教皇や皇帝,国王から特権を与えられ,無神論と異端を教えないかぎり自治を認められた。しかし,みずから運営資金を調達しなければならず,教授の生活を支えるために学生は授業料を支払い,教授は学生を満足させる授業を行う必要があった。学生が不満を訴えて他所へ移り,新たな大学を設立することもあった。ケンブリッジ大学 (1209) は,オックスフォードから移ってきた学生によってつくられた。 13世紀以降,モンペリエ (20) ,パドバ (22) ,ローマ (1303) ,フィレンツェ (21) ,プラハ (48) ,ウィーン (65) ,ハイデルベルク (86) ,ライプチヒ (1409) ,フライブルク (57) ,テュービンゲン (77) ,ルーフェン (25) ,セントアンドルーズ (11) ,グラスゴー (51) など,ヨーロッパの主要都市に次々と大学が設立された。当時の大学では自由七科 (論理,文法,修辞,幾何,算術,天文,音楽) に基づいた講義が行われた。学生は医学,法学,神学の専門学部の一つで学んだが,最終試験はきびしく落第者が多かった。
16世紀の宗教改革と続く反宗教改革は,大学にも影響を及ぼした。ドイツ諸国ではプロテスタントの大学が新設され,プロテスタントに乗取られた大学もあったが,残った大学はカトリックの頑強な擁護者と化した。 17世紀になると,カトリック,プロテスタント系いずれの大学もそれぞれの教義の擁護に傾倒して,ヨーロッパ全土に広まった新しい科学には無関心であった。そのため多くの大学は衰退したが,この間にもエディンバラ (1583) ,ライデン (75) などに新しい大学が設立された。
最初の近代的大学はハレ大学 (1694) で,合理的で客観的な知識の探究のために特定の宗教を信奉せず,ラテン語ではなく母国語のドイツ語で初めて講義が行われた。この新制度はゲッティンゲン大学 (1737) をはじめ,ドイツやアメリカの大学で採用された。 18世紀後半から 19世紀にかけて,大学は近代的な学問研究機関になり,授業科目と運営も専門化され,宗教の影響は弱まった。この傾向はベルリン大学 (1809,現フンボルト大学 ) で典型的にみられ,実験室での実験が推量に取って代り,近代的な学問の自由も生れた。西半球ではサントドミンゴ (1538) とミチョアカン (40) に最初の大学が設立された。アメリカでは,ハーバード大学 (1636) ,ウィリアム・アンド・メアリー・カレッジ (93) ,エール大学 (1701) ,プリンストン大学 (46) ,キングズ・カレッジ (54,現コロンビア大学 ) などの4年制の単科大学が,大半は宗教団体によって設立されたが,やがて総合大学に発展した。フロンティアの西進に伴って,多数の大学が新設されたが,ドイツを範としたこれらの大学では,プロシアの学問の自由の理想とアメリカの教育の大衆化の伝統が結びついた。 1862年には農学と機械工学の新大学を設立するために土地を各州に供与するモリル法が制定され,マサチューセッツ工科大学コーネル大学や,イリノイ,ウィスコンシン,ミネソタに州立大学が生れた。
19世紀になるとイタリア,スペイン,フランスで大学の再編と宗教からの分離が行われ,ほとんどの大学を国が運営するようになった。女性の入学も 19世紀後半に認められた。授業科目も改善され,ラテン語やギリシア語,神学に代って現代の言語や文学が教えられるようになった。物理学,化学,生物学,工学,経済学,心理学,社会学なども授業科目に加えられた。 19世紀末から 20世紀にかけて,イギリスとフランスは南アジアや東南アジアの植民地に大学を設立した。 20世紀なかばに植民地から独立した国々では,欧米を範として大学制度の拡充をはかった。ロシア,日本,中国でもモスクワ大学 (1755) ,サンクトペテルブルグ大学 (1819) ,東京大学 (77) ,京都大学 (97) ,北京大学 (98) など,欧米の大学をモデルに最高学府としての大学が設立された。 20世紀に入って各国とも大学は著しい拡充をみせたが,特に 1950年代以降,学生数が急増し,これに伴って大学の新設,規模拡大がはかられ,いわゆる高等教育の大衆化が進行した。この結果,組織,管理,目的,機能などのうえで,さまざまな問題が生じ,新しい大学像の模索が進められている。

大学
だいがく
Da-xue

儒教経典の一つ。もと『礼記』中の1編であったが,南宋の朱子にいたり孔子の教えの正統を示す『四書』の一つとされ,きわめて重要な経書となった。朱子はこれを孔子の高弟曾子の作とするが,根拠に乏しい。漢代初期の成立と考えられる。宋学によれば,儒教の目的を三綱領にまとめ,その実践を,知識を得ることから天下を治めるにいたる八条目に整理して,儒教の輪郭を示しているとされる (→三綱領・八条目 ) 。朱子は,本文錯簡誤脱があるとして校定し,また「格物」の伝を補った。これを「格物補伝」という。明の王陽明が朱子学を批判してから,朱子の『大学章句』特にその補伝は儒学論争の中心問題となった。王陽明は,朱子改定以前のいわゆる『古本大学』によっている。日本でも『大学』は,朱子学とともに江戸時代に大いに行われたが,ここでも『大学章句』と『古本大学』をめぐる論争が展開され,また日本の国学者の創見による著述も多く出ている。

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精選版 日本国語大辞典 「大学」の意味・読み・例文・類語

だい‐がく【大学】

[1] 〘名〙
① 中国の周代以降、王者のたてた最高学府。修身、治人の道を教えたもの。官吏の養成機関でもあった。太学。〔礼記‐王制
② (小学に対して) 治者の学問。大人の学問。
※江戸繁昌記(1832‐36)五「兄が大学を屈して、這の小祿に就かしむ」
③ 平安時代、大学別曹の中で最も盛んであった勧学院をさしていう俗称。
※宇津保(970‐999頃)祭の使「大学より三条の院近し」
※令義解(718)儀制「大学諸博士。文学等。不決笞之限
※源氏(1001‐14頃)乙女「大かくの道にしはしならはさむのほい侍るにより」
⑤ 高等教育の中核をなす学校で、学術の研究および教育の最高機関。研究と教育に創意と自由が尊重され、管理運営に自治が認められている。現代の大学制度は西洋中世に起源が求められ、近代国家の発達とともに一九世紀以降今日のような形態となった。日本では欧米に範を求めて明治以降に設立された。明治一九年(一八八六)の帝国大学令、大正七年(一九一八)の大学令、昭和二二年(一九四七)の学校教育法によって規定され、今日に及んでいる。修業年限は四年を原則とし、学部のほか大学院を置くことができる。
※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉四「十七歳の秋といふ頃、ある大学(ダイガク)の門に入りて」
[2] 中国の経書。四書の一つ。孔子の遺書とも子思または曾子の著作ともいう。もと「礼記」の一編(第四二)で学問の根本義を示す。朱子の校訂によって現形に固定された。明明徳・止至善・新民の三綱領をたて、それに至る格物・致知誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下の八条目の修養順序をあげて解説する。

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デジタル大辞泉 「大学」の意味・読み・例文・類語

だい‐がく【大学】

高等教育の中核をなす教育機関。学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究することなどを目的とする。修業年限は4年を原則とするが、2年ないし3年の短期大学もある。大学は、学部のほかに大学院、研究所・付属病院などを設置することができる。日本では、明治以後設立。明治19年(1886)の帝国大学令、大正7年(1918)の大学令などにより規定され、第二次大戦後は、学校教育法に基づいて設置され、今日に至っている。
大学寮」の略。
俗に、社会人を対象にした教養講座のこと。「市民大学
[類語]大学校

だいがく【大学】[書名]

中国、戦国時代の思想書。1巻。著者・成立年未詳。もと「礼記らいき」の中の一編であったが、宋の司馬光が抜き出して「大学広義」1巻を作り、のち、程顥ていこう程頤ていいが定本を、1189年に朱熹しゅきが「大学章句」を作って、四書の一とした。治者の倫理・道徳に関する三綱領・八条目を立て、儒教の学問の階梯かいていを説いたもの。
[補説]三綱領は治者の目標となる明明徳・止至善・新民の三つ。八条目は三綱領を実現するための修養で、格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下の八つ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大学」の解説

大学
だいがく

儒学の経書
戦国時代の作という。もと『礼記』中の1編であったが,宋の程顥 (ていこう) ・程頤 (ていい) が特に尊重し,礼記の古註疏 (ちゆうそ) をしりぞけて朱熹 (しゆき) が『大学章句』を作り,四書の1つとした。格物致知を主とし,修身・斉家・治国・平天下を説き,道徳と政治との関係を論じている。

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