千宗守(4代)(読み)せん・そうしゅ

朝日日本歴史人物事典 「千宗守(4代)」の解説

千宗守(4代)

没年:天明2.2.6(1782.3.19)
生年享保10(1725)
江戸中期の茶人。官休庵武者小路千家4代家元。幼名久之丞。堅叟,直斎と号した。嵯峨家より入り3代真伯宗守の養子となる。茶の湯の遊芸化の進行と,都市の茶の湯人口の増加に対応して,7代千宗左(如心斎)に協力し千家七事式を制定し,稽古を茶の湯の中心とする道を開いた。また自邸にも多人数が同時に稽古できるような15畳の広間(弘道庵)を築造するなど社中の拡充に努め,武者小路千家の中興とされている。好みものも多く,なかでも仙台藩内でとれる名取川埋木を用いた香合は,とりわけ有名。<参考文献>『茶道源流』全6巻

(熊倉功夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千宗守(4代)」の解説

千宗守(4代) せん-そうしゅ

1725-1782 江戸時代中期の茶人。
享保(きょうほう)10年生まれ。3代千宗守の養子。武者小路(むしゃのこうじ)千家4代家元。邸内に一方庵,弘道庵の茶席をつくる。表千家7代千宗左に協力して千家「七事式(しちじしき)」の制定に参加。初代宗守の百回忌をいとなんだ。武者小路千家の中興の祖といわれる。天明2年2月6日死去。58歳。本姓は嵯峨(さが)。号は堅叟,直斎。

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