シラー
Shiller, Robert J.
[生]1946.3.29. ミシガン,デトロイト
アメリカ合衆国の経済学者。フルネーム Robert James Shiller。1967年ミシガン大学で経済学の学士号を取得したのち,マサチューセッツ工科大学で 1968年修士号,1972年博士号を取得。1972~74年ミネソタ大学で経済学の准教授を務めたのち,1982年エール大学の経済学教授に就任した。株価の変動は株による収益や配当を反映するという効率的市場仮説に対し,実証分析によって,そうした変動が予測よりはるかに不安定であることを示した。また,株価の変動は配当流列で説明できないほど大きく,一見非合理的な逸脱にも,将来の株価変動の予測に使えるパターンが読み取れると考えた。シラーとカール・E.ケースらが開発したアプローチに基づくケース・シラー住宅価格指標は,アメリカの住宅価格動向の追跡に使われた。2013年,「資産価格の実証分析」への貢献により,ユージン・F.ファーマ,ラース・ピーター・ハンセンとともにノーベル経済学賞を受賞した。3人の研究と分析の成果は,株式や債券,不動産などの金融資産の価格と,それらの価格を動かす要因を研究する新たな手法を見出すことにつながった。著書に,『投機バブル 根拠なき熱狂』Irrational Exuberance(2000),『それでも金融はすばらしい』Finance and the Good Society(2012)など。
シラー
Schiller, Johann Christoph Friedrich
シラー
Scilla; squill; wild hyacinth
ユリ科スキラ (ツルボ) 属の球根植物。ヨーロッパ,アジア,アフリカに 80~90種が分布する。園芸的にはシラーの呼称が定着している。線形または披針形の葉が根出し,茎頂に総状花序を形成する。花被片は6個で花形は鐘形から杯状,ほとんど平開するものもある。南ヨーロッパ原産で,ヨーロッパ各地に帰化しているスキラ・ヒスパニカ S.hispanica (エンディミオン Endymion属とする見解もある) は,20~50cmの花茎に 10~30個の鐘形花を下垂させる。花色は青色,紫色,桃色など。スキラ・ペルビアナ S.peruvianaは 20~100の小花がピラミッド状の総状花序をなし,花色は暗青紫色,白色など。ほかに草丈 10~20cmの小型種であるスキラ・ビフォリア S.bifoliaやスキラ・シベリカ S.siberica,スキラ・チュベルゲニアナ S.tubergenianaなどが栽培される。ひなたか半日陰で,腐植質を多く含む水はけのよい環境を好む。多くは露地栽培が可能。数年間は植えたままでよいが,小型種は暑さに弱いものが多い。
シラー
Schiller, Ferdinand Canning Scott
[生]1864.8.16. アルトナ
[没]1937.8.6. ロサンゼルス
イギリスの哲学者。オックスフォード大学に学び,1893~97年コーネル大学講師,97~1926年オックスフォード大学研究員,30年南カリフォルニア大学教授。 W.ジェームズの影響を受け,イギリスのヘーゲル的観念論者 (ブラッドリー) に反対して,プラグマティズムの立場に立つ。イギリスにおけるプラグマティズムの先駆者とみなされるが,彼自身は自己の立場を humanism,あるいは voluntarism,あるいは personalism (→人格主義 ) とも呼んだ。主著『要請としての公理』 Axioms as Postulates (1902) ,『論文集-ヒューマニズム』 Humanism; Philosophical Essays (03) ,『ヒューマニズム研究』 Studies in Humanism (07) 。
シラー
Schirra, Walter Marty, Jr.
[生]1923.3.12. ニュージャージー,ハッケンサック
[没]2007.5.3. カリフォルニア,ラホヤ
アメリカ合衆国の宇宙飛行士。 1959年マーキュリー計画のために選ばれた宇宙飛行士7人のなかの一人。海軍兵学校卒業後,朝鮮戦争に従軍。テストパイロットを経て宇宙飛行計画に参加。 1962年 10月3日マーキュリー衛星船シグマ7号で地球を6周した。ジェミニ計画では 1965年 12月トマス・スタッフォードとジェミニ6号に船長として搭乗,ジェミニ7号と初のランデブーに成功。アポロ計画では 1968年 10月ドン・エーゼルと R.ウォルター・カニンガムとともにアポロ7号の搭乗員となり,アポロ計画の初めての有人飛行を行なった。マーキュリー計画,ジェミニ計画,アポロ計画すべての宇宙船に搭乗した唯一の宇宙飛行士で,2000年に海軍航空隊名誉の殿堂入りを果たした。
シラー
Schiller, Karl
[生]1911.4.24. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1994.12.26. ハンブルク
西ドイツの政治家。キール大学,ハンブルク大学教授を経て,1961~65年西ベルリン経済評議会理事,65~72年社会民主党の連邦議会議員,66~69年 K.キージンガー内閣の経済相,69~71年 W.ブラント内閣の経済・蔵相として活躍。西ドイツきっての経済,金融の専門家で,ヨーロッパ共同体 ECでも通貨同盟の発足に献身した。 72年ブラント首相とマルク切上げ問題で対立,経済相を辞任,同時に連邦議会議員も辞職した。『社会主義と競争』 Sozialismus und Wettbewerb (1955) など著書多数。
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シラー
ドイツの詩人,劇作家。シュワーベンのマールバハの軍医の子。大公の命令で規律厳格なカール学校で法律と医学を学んだ。処女作《群盗》や市民悲劇《たくらみと恋》などは〈シュトゥルム・ウント・ドラング〉の革命的情熱を示している。1785年には友人の領地に招かれ,ベートーベンにより《第九交響曲》の合唱テクストに用いられた《歓喜に寄す》の詩,戯曲《ドン・カルロス》を書く。1787年ワイマールへいき,1789年からイエナ大学で歴史を講じ,カント哲学を研究,《三十年戦争史》や《素朴文学と感傷文学について》などの美学論文を著す。肺患を病みつつも1794年から始まるゲーテとの親交は,やがて古典主義作家としての成熟をもたらし,《ワレンシュタイン》三部作,《マリーア・シュトゥアルト》《オルレアンの処女》《メッシナの花嫁》《ウィルヘルム・テル》などの大作を次々と発表。戯曲《デメトリウス》を未完のまま病没した。またバラードにもすぐれ,思想詩と呼ばれる独自な作品群もある。シラーの戯曲は,自由の理念を追求する主人公が,破滅しつつも勝利者となる倫理的理想主義に貫かれており,ゲーテとともにドイツの国民詩人とたたえられる。
→関連項目イェーナ大学|ウィーラント|カール・アウグスト|ジャン・パウル|第九交響曲|ティシュバイン[一族]|ドン・カルロス|ノバーリス|ワイマール
シラー
ヨーロッパ,アフリカ,アジアに分布するユリ科の一属で,約90種ある。花色は青〜紫系が多く,春〜夏咲の花を観賞するために秋植球根植物として花壇,鉢植にされるものも多い。線形,披針形,長楕円形等の葉を鱗茎より根生。シラー・プラテンシスはユーゴ原産,20〜30cmの花茎に青色の花を総状につける。シラー・ヒアシンソイデスは地中海沿岸原産,40〜80cmの花茎に青色の花を100個前後つける。シラー・ヒスパニカはイベリア原産,花は青・白・桃色の鐘形。シラー・ペルビアナは頑丈(がんじょう)な花茎の先に50個以上の花をピラミッド状の総状花序につける。シラー・シベリカは10〜20cmの花茎に下向きに2〜3花をつける。
シラー
ドイツ生れの英国の哲学者。W.ジェームズの影響を受け,ブラッドリー,スペンサーに対抗して,プラグマティズムを主張,自己のそれを〈ヒューマニズム(人本主義)〉と呼んだ。晩年は米国に住んだ。著書は《ヒューマニズム》(1903年),《形式論理学》(1912年)。
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シラー
[一] (Ferdinand Canning Scott Schiller ファーディナンド=カニング=スコット━) イギリスの思想家。当時隆盛のヘーゲル哲学に反対し、真理は人間が自己の目的のもとに実践することによってつくりだすものという人本主義(ヒューマニズム)を主張。著書に「人本主義」など。(一八六四‐一九三七)
[二] (Johann Christoph Friedrich von Schiller ヨハン=クリストフ=フリードリヒ=フォン━) ドイツの詩人、劇作家。処女戯曲「群盗」を書いて、ゲーテと並び個性解放の文学運動シュトルム‐ウント‐ドラングを代表。のち、カント哲学の影響をうけ、歴史の流れと個人の自由の葛藤を描いた歴史劇のほか、思想詩、美学論文などを残す。代表戯曲は「たくらみと恋」「オルレアンの処女」「ウィルヘルム・テル」など。(一七五九‐一八〇五)
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シラー
Johann Christoph Friedrich von Shiller
1759〜1805
「疾風怒濤(シュトゥルム−ウント−ドランク)」時代のドイツの詩人・劇作家
古典主義の立場にたちながらも,ロマン主義の色彩が強く,反抗と自由の精神をうたいあげた。『群盗』『たくらみと恋』『ワレンシュタイン』『オルレアンの少女』『ヴィルヘルム=テル』などのほか,歴史・美学についての著作もあり,『三十年戦争史』『美的教育に関する書簡』などを著した。ゲーテと親しく,ともにドイツ文壇の巨匠。
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デジタル大辞泉
「シラー」の意味・読み・例文・類語
シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)
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シラー
ドイツの筆記具ブランド、モンブランの筆記具の商品名。「作家シリーズ」。2000年発売。ドイツの詩人、フリードリッヒ・シラーをイメージ。万年筆、ボールペン、シャープペンシルがある。
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シラー【syrah(フランス)】
フランス南東部のローヌ地方原産の赤ワイン用のぶどうの品種。オーストラリアでも栽培が盛んで、「シラーズ(Shiraz)」と呼ばれている。
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シラー
気成作用が基本的に働いた結果,硬化したイグニンブライト[Fenner : 1918].
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シラー
生年月日:1864年8月16日
イギリスの哲学者
1937年没
シラー
生年月日:1911年4月24日
西ドイツの政治家
1994年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
シラー【squill】
ユリ科ツルボ属Scillaの秋植え球根(鱗茎)植物。ツルボ属はヨーロッパ,アジア,アフリカなどに分布し,約100種もあり,日本のツルボもこの仲間である。花も姿もさまざまだが,ヒアシンスを小型にしたようなシラー・シビリカS.sibirica Hawやシラー・ヒスパニカS.hispanica Mill.,星形の小花が傘形に密生して咲くシラー・ペルビアナS.peruviana L.がよく知られていて,春咲球根類のわき役ともいえるかれんな花をつける。
シラー【Ferdinand Canning Scott Schiller】
1864‐1937
イギリスの哲学者,プラグマティスト。ラグビー校,オックスフォード大学(ベイリオル・カレッジ)で学び,コーネル大学,オックスフォード大学(コーパス・クリスティ・カレッジ),南カリフォルニア大学などで教えた。1921年にアリストテレス協会の会長をつとめ,26年にはブリティッシュ・アカデミーの会員に選ばれている。シラーは当時イギリスの哲学界を支配していたドイツ観念論の影響を受けながらもヘーゲル学派の一元論的絶対主義には強く反対して,独自の〈人格的観念論〉を唱えた。
シラー【Johann Christoph Friedrich Schiller】
1759‐1805
ドイツ古典主義文学の代表的作家。敬虔な軍人の家に生まれ,ビュルテンベルク公の命により士官学校で法律,後に医学を学ぶ。軍医任官後文学活動を禁じられ,1782年公国を亡命。83年マンハイム劇場脚本家。85年ケルナーChristian Gottfried Körnerの招きでライプチヒへ。87年ワイマールでC.M.ウィーラント,ヘルダーを知る。88年イェーナ大学歴史学教授,K.W.vonフンボルトと交わる。
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世界大百科事典内のシラーの言及
【ツルボ】より
…路傍,土手などの人里近くの草地に生えるユリ科の多年草。8~9月の花期には紫色の花を密につけた穂状花序がよく目だつ。花茎は高さ20~40cm。無毛で葉はつかない。花被は6枚で長さ3~4mm,おしべは6本で花被と同長。子房は3室。蒴果(さくか)は倒卵形で長さ4~5mm。花後に出る根出葉は線形で長さ10~30cm,花時以外は目だたない。地下には鱗茎がある。日本全土に分布し,ウスリー,朝鮮半島,中国大陸,台湾にもある。…
【ツルボ】より
…細胞遺伝学の研究材料として広く研究されているものの一つである。 ツルボ属Scilla(英名squill)は約100種を含む大きな属で,ヨーロッパ,アフリカ,アジアに分布する。日本は属としての分布の東端にあたり,ツルボ1種のみが知られている。…
【ウィルヘルム・テル】より
…シラーの完成した最後の韻文戯曲。1804年作。…
【シュトゥルム・ウント・ドラング】より
…この運動の主要な劇作家は,クリンガーとJ.レンツの対比に見られるごとく,情熱的天才タイプと感傷的情緒不安定タイプに大別される。代表的戯曲を傾向別に挙げると,まず自己の本性の無限の実現を邪魔するいっさいの生活規範を否認する〈どえらい奴grosser Kerl〉を描くゲーテの《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》(1773),クリンガーの《双生児》(1776)など,次に普遍的人間的自由への革命的要請を歌いあげたシラーの《フィエスコの反乱》(1783),《たくらみと恋》(1784),第3に社会における個人の自由を求めたライゼウィッツJohann Anton Leisewitz(1752‐1806)の《ターレントのユーリウス》(1776),シラーの《群盗》(1781),そして社会的被抑圧者のための正義を訴えたワーグナーHeinrich Leopold Wagner(1747‐79)の《嬰児殺し》(1776),レンツの《軍人たち》(1776)に大別される。しかし,これらの独創的な天才たちが提示した文学の本質に関する基本的見解は,ゲーテやシラーの古典主義作品,さらにはロマン主義文学に受け継がれ,20世紀の表現主義文学にもつながる重要な発言であったが,この運動の持つ既成秩序に対する抗議,反抗といった側面は過渡期的現象に終わり,急速に衰退していった。…
【第九交響曲】より
…出版に際しては,時のプロイセン国王フリードリヒ・ウィルヘルム3世に献呈された。この交響曲の特徴は先例のない規模の大きさと,終楽章にJ.C.F.シラーの詩《歓喜に寄せてAn die Freude》による独唱と合唱を用いたことである。〈全人類が同胞になる〉というヒューマニズムの理想を歌い上げた終楽章は,今日なお聴衆に深い感激を喚起せずにはおかない。…
【ドイツ演劇】より
…劇作では,フランス古典主義演劇の形式を退けて,シェークスピアに範をとる多場面構成で,強烈な個性をもつ人物をもつ戯曲が求められた。ゲーテは史劇《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》(1773)によってその要望を満たし,70年代中葉にはほかにも注目すべき劇作が発表されたが,J.C.F.シラーの《群盗》あたりからこの運動は退潮した。ゲーテはワイマールに移ってから,しだいに古典主義的な立場をとり,ワイマール宮廷劇場の監督として様式の確立に腐心するようになった。…
【優美】より
…もう一つは両極的原理たる自然と精神との調和という道徳的意義の発現にある。J.C.F.シラーは人間の身体運動も道徳性をはらむ精神の表現であることに着目し,感性と理性,性向と義務との全き調和を〈美しき魂schöne Seele〉と呼び,これの発現こそ優美にほかならぬとして以後の優美論の方向を定めた。だがさかのぼればギリシア語カリスcharisに発する概念ゆえ論者は他にも数多くあり,それら諸説の検討成果を大著《優美の美学》(1933)にまとめたのはバイエRaymond Bayerである。…
【ロマン派演劇】より
…
[ドイツにおけるロマン派演劇]
演劇におけるロマン主義の時代区分は,他のジャンルの場合とはやや異なるものの,およそ1770年代から1830年代までと考えてよかろう。なぜなら1770年代にドイツに起こった疾風怒濤(しつぷうどとう)(シュトゥルム・ウント・ドラング)の運動は,他のヨーロッパ諸国のロマン主義に与えた影響から考えると,広義のロマン派と呼びうるからである(ただドイツにおいては,疾風怒濤期以後に古典主義が成立し,またさらにロマン派が生まれ,疾風怒濤の代表作家だったゲーテ,シラーらが古典主義を確立して,ロマン派と対立するというやや特殊な事情も存在する)。疾風怒濤派は,とくに劇文学において,〈三統一〉の法則を典型とする古典主義の〈法則の強制〉に反発し,啓蒙的な合理主義に対して感情の優位を主張して,シェークスピアを天才的で自由な劇作の典型として崇拝した。…
※「シラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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